育児はキャリアと誇れる社会を、わたしはつくりたい
先日、Xにポストした投稿が、バズった(わたし的には)。
(ちなみにこのポストでいう専業主婦は、専業主婦兼ママのことを指す。)
電話の会話の中では、本当に一瞬の出来事だった。
しかしこのブランクの一件は、わたし的にはだいぶメンタルにくるものがあった。
おそらく先方も、特に深い意味もなく、口にしたに違いない。
ただ就職活動真っ最中の専業主婦には、あまりにも言葉のナイフの先端が鋭利すぎた。
職務経歴書の経歴の欄には、目立った経歴もない。
スキル欄も、これといってパッとしたものが書けない。
子どもの保育園に応募するにも、専業主婦に与えられる点数は、0に等しい。
あぁ、こうもわたしにはなにもないのか。
いったい今日まで、何をして生きていたのだろう。
考えれば考えるほど、海の底深くへどんどん吸い込まれていくような息苦しさと、社会から隔絶されている感覚になった。
そして、人としても0点という点数をつけられているような、気持ちになった。
一応、育児には真摯に向き合ってきた(自分なりに)。
ただ、子どもとの遊び方や声掛けが本当に下手くそなため、おままごとや人形遊びには今でもかなり苦戦している。
以前「自分の幼少期を思い出して、一緒になって遊んでみてください!」と、子育てサロンのスタッフさんに言われたことがあった。
しかし自身の幼少期は、基本絵本を読んだり折り紙をしたり、外で友達と遊んでいた記憶しかない。
ごっこ遊びの記憶があるとするならば、妹に付き合わされて無理やり参加した、先生ごっこくらいだろう。
楽しかった記憶はあるけれど、どうしても役になりきれなかった。
自分を冷静に俯瞰しているもう1人の自分に、じっと見られているような感覚。
なんだか恥ずかしいような、心から楽しめないような、なんとも言えない気持ちになってしまうのだ。
そのためか、子どもとは通信教材を使って一緒に勉強をしたり、公園に行ったり、知育系のおもちゃを使って遊ぶことが圧倒的に多い。
勉強ができるようになってほしいから、勉強を一緒にしているわけではない。
正直、いい成績をとってほしいとは、まったく思っていない。
これには、親からの期待に応えるため、親に喜んでもらうためにいい成績をとる!というわたし自身の経験を反面教師にしている部分もある。
でも、それよりも大切にしている強い想いがある。
それは、いろんなことを知っていると、人生はもっともっと楽しくて、色鮮やかになる、ということ。
これを、ぜひ子どもたちに教えておきたいのだ。
というより、これを教えてあげることが、わたしの母としての使命なのだと思う。
そして、いろいろな角度から物事を見ることで、人生がより豊かになり、心までも豊かになることを、心に留めておいてほしい。
豊かな心は、深い愛を生む。
その愛は、この世に存在するすべてのものに必ず届く。
形あるもの、ないもの。
命あるもの、命あるものの手により作り出されたもの。
届け方や届き方はちがうけれど、必ずすべてに、愛は届く。
そしていつか、誰かに届けた愛が、自分のもとへと返ってくる。
そんなふうに、あたたかな愛が循環する環境に身を置いて、人生をおくっていってほしい。
そのお手伝いのためにも、わたしができることのひとつにある家庭学習には、力を入れてきたのだった。
塾には通わず、家庭でやれるだけやってみよう!という目標を掲げ、
・Z会
・こどもちゃれんじ
・七田式(プリントやCDの掛け流し)
・Disney World of English
・ワンダーボックス(STEAM教育)
・クックパッドの「おりょうりえほん」
・福音館「かがくのとも」
ここら辺の教材を使いながら、時間割を緩く設定して、子どもたちと一緒に勉強してきた。
時間割は、ホワイトボードに曜日と時間を書いておく。
タスクを書いたマグネットシールを隣に用意しておき、あとは子どもたちに1週間分の時間割を組み立ててもらっていた。
達成できたら、カレンダーに好きなシールを貼れるように、ご褒美システムを導入した。
家庭内学習は、「こちらの意向を押し付けない」ということが大前提。
何度も「きー!なんでわからないのー!」と思ってしまう場面があったけれど、そこはグッと我慢。
あくまでも、子どものペースで進めてきた。
時間割も緩く設定することで、とにかく余白の時間を大切にすることを心がけた。
もちろん、余白は大人にも欠かせない。
しかし子どもにとっての余白の重要度も、かなり高いと思う。
我が子の場合なのかもしれないが、学んだことを反復するのは、遊びの中が圧倒的に多い。
自由に好きなことをしながら、学んだことを即座に遊びに活かしているのだ。
これが、子どもの吸収が早い秘訣なのかもしれないな、と思った。
このゆるっと家庭学習は、なかなかいい感じに効果が発揮されてきている。
子どもたちはいろいろなことに興味を持ち、どんなときも自ら学ぶ姿勢を忘れないのだ。
うれしい。
学ぶ楽しさに気がついてきているようで、うれしい。
少しは子どもたちの役に立てていたら、もっとうれしいのだけれど……。
こんなふうに、毎日いろんなことを考えながら、わたしなりに懸命に育児に向き合ってきた。
育児には明確な正解はなく、お仕事のように誰かから評価されるわけでもない。
できなかったことがどんどんできるようになっている子どもの姿を見て、力や活力をもらう。
お給料はないけれど、毎日の小さな幸せや気づきを糧にして、日々育児に励んできたのだ。
だからわたしは、声を大にして言いたい。
育児も立派なキャリアとして、人に誇ってもいいのではないだろうか。
もちろんこれは、お金のためなんかじゃない。
ただ、子育てに注いだ時間や労力も、社会からもっと認められるべきだと思うのだ。
ただ「ブランク」として扱われるのではなく、履歴書に書けるくらいの、キャリアとしての価値があってもいいのではないだろうか。
いろいろな立場の方からさまざまなご意見があることは、もちろん認識している。
しかし、一生懸命自分のすべてを注いできた時間を、ブランクとして扱われるのはあまりにも酷すぎる気がする。
せめて、自分も社会の一員として生きてきたんだという証を、与えてほしい。
誰かの役に立っていたんだ。
自分もこの社会の一員として、たしかに息をしていたんだと、感じたい。
先日、ライターのお仕事のために職務経歴やポートフォリオを作成した。
そこに、育児をキャリアとして掲載してみた。
このやり方が正しいとか、正しくないとか、これもきっといろんなご意見があると思う。
でも、どうしても一度こうしてみたかった。
オリジナリティを発揮できる職務経歴書は、わたしの中ではここだけだったので……。
挑戦してみたのだ。
できればいつかお仕事のご縁をいただく方には、この職務経歴書とポートフォリオのままのわたしを、一度そのまま丸ごとお届けしてみたい。
わたしらしさ満載の文章を、届けるために。
そしてこの繰り返しで、同じような思いをするママやパパが、少しでも減ったらいいな……と、思うのだった。