また春になって。
中村一義さんの「春になれば」にあわせて、
PVのライブペインティングパフォーマー近藤康平さんのドローイングをモチーフにしたTシャツを2種、購入しました!。やった!(好きなミュージシャンのTシャツの軽くコレクターです、僕)。
中村一義さんのTシャツと言えばいまからはるか昔、大学時代に、好きだった女の子が中村一義さんのライブに行っている最中に、電話がかかってきて、Tシャツを買ってきてくれて、ずっと着ていた。
その時に電話口で、たぶん「ここにいる」をやると思うよー、と言ったら、後日、ほんとにやった!凄い!と言われた。当てたのはなんでかな?。ブラフの気もする笑。
春になって、再会もあったりします。
先日は恒例のチーム・アクエリアスと言うグループで(山羊座もひとり、含む)、ステーキをがっつり食べて、近況報告などを話し、尽きない。
20代に見えていたライフプラン、30代で考えていたライフプランと、40代ではまた違ってくる、なんて話になる。
いまはもう、DJをしたいとは思わない(よく聞かれる)。20代半ばから30代終わりまで、生活を犠牲にして、DJをしていたし、ギャラや採算は度外視して、とにかくずっとDJをやる事が中心だった。それで食べたいとは思っていなかった。ただ、必死になって来るオファーは必ず受ける様にしていた。
ある時期から、それは福祉の仕事を始めてからだろうけれど、例えば一つのイベントで3,000円なら3,000円のチケットを売り、更にそれなりにお客さんがお酒を飲んだりする様なイベントの、そのイベント自体にどうの、と言うより、お客さんにと言うより、自分のDJの在り方に疑問を持ち始めた。
その時期、例えばフリーチャージのイベントに出て、3歳くらいの男の子の反応を見ながら選曲をしていたりもした。彼は、アフリカン・ファンクやサルサのレコードには、物凄く踊ってくれたし、小学生くらいの少年たちが勝手にブースに入ってきて、レコードを逆回転させたり、早回しさせたり、直ぐに飽きたりしている様を笑顔で見ていた(おお、リアルにスクラッチの誕生!だと思って)。
どこに届けたいか?。これは僕の問題だけど、音楽、DJ、音楽をかける行為をもっと気楽に自由にやりたかったし、それはいまも変わらない。
ただその在り方はまだ一手しか出ていなくて、それは、いつものバーでYouTubeで音楽をかける事だし、次なる手は、まだ考えている。
アクセス…音楽に限らず、福祉もそうだけれど、それはずっと考えている。
相変わらず音楽はめちゃくちゃ聴いているし、それこそクラシックにまで遂に!笑、手を出している。
クラシック…良い音響で聴いたら、もっと響くんだろうな、と小さなスピーカーを通ってくる響きに、想像力が掻き立てられる。
今日も今日で久しぶりに会ったチーム・アクエリアスのお姉さんと話し込む。
例えば、僕が料理をしている!と言えば、笑い合う。アドバイスも頂く。
誕生日って言って、お姉さんに二か月遅れのプレゼントにリンツのチョコレートを渡す(お姉さんは今日たまたま歯の治療をしていて、タイミングが悪い…と笑う)。
君ってさ、ってか二人とも猫っぽいよね、とまた話す。なんで猫なのかと言えば、構って欲しい時だけ、甘えて、後はだいたいほっといて欲しいからだけど、ただ僕の顔はめちゃくちゃ犬顔だと言えば、また笑う。
お姉さんはたぶん覚えてないけれど、
君さ、無理して笑ってない?いつも笑顔でいようとし過ぎると、笑顔が張り付いて、本当に苦しい時にも、泣けないよ、と言っていた。
ずっと片隅に残っている。
春の陽気に、ビールを少しだけ飲んだ、幸せな午後。
取り止めのない、日記。
読んでくださり、ありがとうございます!。
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