会えない人の人生を想像する

急な寒さで風邪を引いた。

このご時世にちょっとの体調不良で出勤するなんてただの迷惑行為にしかならないから、在宅勤務に切り替える。去年は「熱でも来い」が当たり前だったから、ひとつの時代の中に確かに存在してるんだな、と感動しては途端に白々しくなる。エモーショナルは時折、もう使わないおもちゃみたいに心の中で衰退する。

同じ仕事でも布団が近くにあるのと無いのでは、後者の方がずっとQOLが高いわけで、夕方にはどろんと布団の上に倒れてみた。

もう何もない夜を迎えたり、静寂の音が聴こえる夕べの布団に入るときに頭の中に現れるおじさんがいる。10年前、北海道のガソリンスタンドで会ったおじさんだ。

当時まだ一緒に暮らしていた家族で、北海道を車で横断するという旅行をした。水曜どうでしょうみたいだな、と思ったがこれが大仕事で、雨やら雪やらで観光すらままならなかった。その時に立ち寄ったのが、そのガソリンスタンドだ。

狼狽える我々に「この先を真っ直ぐ行けば大丈夫です、良い旅を!」となめらかに送り出してくれた彼を後部座席から見て、この人とはもう二度と出会わないんだろうなと、当たり前のことを思った。当たり前なのに、すごく悲しいとすら感じた。

なんでそう思ったのか分からないけれど、悲しすぎたのでおじさんの人生を細部に至るまで想像し尽くした。奥さんと娘が二人いて、ガソリンスタンド勤務の前は東京の旅行会社で働いたけれど、親の関係で北海道に戻ってきた。好きな食べ物は鱈。そろそろ長女が結婚するから今夜はスーツを新調…など。

人生のおおかたを共有できる人は、ごくわずか。でもたまに、一瞬しか出会わなかった人の人生を何も知らずに通り過ぎていくことをこわいと感じる。その尊さを、知らずに死んでいくことは、ちょっと死ぬことそのものよりこわい。

耐えられないから、今日も勝手に想像してしまう。


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