創作を始めた切っ掛けから現在に至るまでの話
「うすいしお」さんの記事『「Only You」に憧れて 』を読んで、
ふと、僕も創作を始めた切っ掛けを書いてみようと思いました。
僕は物心ついた時から紙面にシューティングゲームのステージを書くのが好きでした。
それはステージデザインというカッコいいものではなく、シュババババンと敵味方の弾が飛び交う混沌とした落書きでした。
なぜ、そういった落書きが好きになったかはわかりません。
とにかく、小学生になる前からそんな落書きばかりしていました。
小学校に上がってからはRPGのパラメータをいじるのが好きな子供になっていました(なんだそれ?)。
パラメータをいじるといっても、デジタルデータをいじるワケではありません。
紙面にHPと攻撃力を書いて、弱い魔物や強い魔物を作る、といった類のパラメータいじりが好きでした。
理由はよくわかりません。おそらく、ドラクエが好きだったからではないでしょうか……?
小学校低学年の頃から、僕はおかしな習慣を持ち始めます。
犬の散歩の時、頭の中でプレイヤーと敵のパラメータをセットしてバトルをする習慣です。
ハッキリ言って変な子です。
夜、寝る時に至っては布団の中で妄想もしていました。
ファンタジーの世界で、人々から恐れられているドラゴンを演じたり、
城の地下で魔法の研究をしている魔術師を演じたりしていました。
この頃からの変な習慣が、数少ない僕の武器になっているのではないかと思います。
つまり、「頭の中でゲームを創造し、動かす力」を小学生の頃から自然と身に着けていたのではないかと思います。
小学校中学年の頃には、パラメータいじりが好きで好きでたらまらなくて、紙で作ったスゴロク形式のRPGもどきや、マップ形式のRPGを作っていました。
休み時間にクラスメートとよく遊んでいました。陽キャラなクラスメートも一緒に遊んでいました。
中学生くらいまで紙面でのRPGごっこを遊んでいたと思います。
この記事を書いてて気が付きましたが、この習慣が「ひとりのごっこ遊び」を楽しむことから「誰かと一緒にあそぶごっこ遊び」を楽しむことへと変化した切っ掛けのような気がします。
中学生になってから、今度はRPGツクールに興味を持ち始めました。興味を持ち始めた時にはすでにRPGツクールを購入していました。
そして、そこでハマっていたのは、やはりパラメータいじり。
ガーデニングの庭いじりを楽しむかのように、魔王のパラメータを作って戦闘テスト、四天王のパラメータを作って戦闘テストと、パラメータいじりをひたすら楽しんでいました。
その頃ダンジョンづくりにも興味を持ち始め、いくつかのダンジョンも作っていました。
一方で物語はというと、あまり興味がなかったため、身内ネタ(クラスメートを楽しませるだけのネタ)で笑わせたりする程度のもの、或いは物語性さえないものを作っていました。
中学生~高校生の頃、進路について考えることになります。
能動的に進路を考えるのではなく、学校や親から「将来何になりたいのか?」問われ、考えました。
考えた答えは「ゲームクリエイターになりたい」でした。
……こんな変な子ですものね。ゲームクリエイターになりたいのでしょう。
欲を言えばドラクエの開発者になりたいと思っていました。
なぜなら、当時ドラクエがすっごく好きだったから。
ドラクエがすごい好きで好きで好きでいれば開発者になれるのかと思い、
ドラクエを何度もプレイしていました。
就職活動のことなど何もわからなかったので、ドラクエクイズみたいなものに答えられればドラクエの開発者になれるかも? とか漠然と的外れなことを考えていました。
そんな子でした。
高校時代。
ひねくれものの僕が「進むべき道を進む」ということに関しては素直だったのは、学校や親が「ゲームクリエイターになる」という進路希望に反対しなかったからなんだと思います。
というわけで、高校時代は理系大学を目指すことにしました。
「専門学校と大学どっちがいい?」という僕の問いに「理系大学目指すのが良いですよ」と答えた大人がいて、割と素直にその道を目指すことにしたのです。
勉強はテスト期間1週間くらい前から少し勉強する程度の、あまり勉強を頑張らない生徒でしたが、社会は1位取ったらゲーム作れそうだな、みたいな、これまた漠然とよくわからない妄想で毎回90~100点くらい取っていました。
一方「英語なんて役に立たないだろ」と思って30点とか取っていたので、今「あー当時の自分なにやってんだ」と思ってます。
大学時代。
この頃、怖ろしいことに気づきます。
「あれ? 僕、何もできなくないか?」ということに……
プログラム書けない、絵も描けない、音楽もできない、何もできない。
希望はゲームプランナ。なぜならゲームを考えるのが好きだから。
THE END
……となりそうだったので、すごく焦りました。
大学のゲームサークルみたいなところに入りました。
できたてほやほやのサークルには2~30人くらい人が集まりました。
わいわいわいわい言っていましたが、数か月後、気づけば5~6人になっていました。
残ったのは絵を描ける人たちとプランナ志望のリーダーと何もできない僕だけでした。
周囲は絵を描ける人、映像を作れる人がいる中で、僕だけは何もできません。
本当に何一つできません。
毎週木曜日、進捗会があるのですが、その進捗会に行くのが怖くて、缶コーヒーを飲んで気合入れて行っていました。お腹痛かったです。
「進捗ありません……」という日もそこそこありましたが、下手でも絵の練習をしていました。
当時行っていたのは、顔の輪郭、アタリ、手の描写などでした。
僕が本当に運がいいのは、当時絵描きさんが、とても憧れの存在で、且つ、とても強くて怖い能力者か何かに見えていたものの、彼らは、僕が絵を描いてきた場合、どんなに下手でどうしようもない絵でも真剣に見てくれたこと、です。
僕は人に恵まれていました。
ただ、絵は習得するまでとても時間がかかる技術のようにも見えました。
そこで、僕は並行して小説も書き始めました。
大学生になって、はじめて物語と真剣に向かい合うことになりました。
ただ、当時書いた物語は様々な物語の寄せ集めのような行先のよくわからない物でした。
焦ってた僕は、なんだかよくわからずにC言語も触りました。
・カーニハン&リッチーのプログラミング言語C (わけわからん)
・やさしいC (ただし、やさしくない)
など読んでわけわからん、と思ってました。
わけわからんけど、わからんなりにコードを打ってみよう、と魔術師の書いた呪文を書き写す新米魔術師のようにコードを打ちこんでいました。
このように僕は、何も持たないクリエイターでした。
いえ、何も持っていないのですから、クリエイターですらありません。
ただ、どういうわけか「自分はすっごく面白いゲームを作ることができて、多くの人を楽しませる能力も持っている」という妄想も抱いてしまっておりました。
それが今の僕の捻くれ具合なのです。
今、周りを見渡せば、生まれた時から絵を描いていました、とか、前世はプログラマでした、とかいうレベルの妖怪やゴリラや変態みたいな能力者ばかり(誉め言葉です)に見えているので、自分は、RPGの村人程度なクリエイターだと思っています。
けど、同時に、面白いものが作れるはず! という妄想も抱いている愚かな人間なので、創作大決戦で敗北すると悔しい! と思うのです。
話が脱線しました。
さて、そんな、大学時代から創作活動を始めた人間がゲーム業界に入れるのでしょうか?
僕の人生はそこまでイージーモードではありませんでした。
優秀な人はゲーム業界に入れるのでしょう。
けど、凡人の僕はゲーム業界へ入れませんでした。
THE END
……となったのですが、僕の妄想癖は直らないようで「すっごく面白いゲームを作ることができて、多くの人を楽しませる能力も持っているはず」という思い込みから、会社員になってからも、プログラムを組んで個人制作のゲームを作っていました。
また「物語も真面目に考えるか」と思い、シナリオの勉強もしました(小説ではなくシナリオの勉強)。
そして、そろそろゲーム業界行けるんじゃないか? と思い、会社を辞めました。
在職中に転職活動をする、というのが邪道に見えて、会社を辞めてから転職活動をしたのですが、正直、この時が人生の中で一番キツイ時でした。
落ちますからね。普通に。ゲームを作っていようと。
毎日、毎日追い詰められました。
貯金が減る、面接落ちる、誰にも認められない、先が見えない……
ただ、ある程度の努力の他、運とタイミングが良かった結果、気づけばゲーム業界に入ってドラクエを作っていました。
個人で行ってきた創作活動が認められ、プランナとしてゲーム会社へ入社できたのです。
ただし、大事なことなので繰り返しますが、これについてはある程度の努力の他は、タイミングと運が良かったとしか言えません。
さて、中高生の頃の夢が叶ってしまったのですが、そこそこ長い期間働いたのち、ある時思いました。
「ドラクエはたしかに遊ぶのは楽しいゲームだけど、僕の作るべきゲームはドラクエか?」
そして、ここで何をどう考えたらそういう思考に至るのか……
「それよりアニメシナリオ作家か、漫画原作者になりたいな♪」
というお花畑の広がる残念な思考のもと、会社を辞め、シナリオ作家協会の門を叩きました。
なんなんでしょうね……
ただ、やはり、シナリオ作家になりたいというのは妄想か妄言だったらしく、1年後には資金が尽き、「あっ、やばっ、来月支払う家賃がない」という理由で別のゲーム会社に入りました。
それから、なんだかんだで色々やってきた経験が役に立ったのでしょうか? エクセルでパラメータいじるのが好きだったり、若干、ゲームを頭の中で動かせたり、ゲーム作りの工程や作業にかかる工数などが見えたりすることもあり、ゲームディレクタ―になったのでした。
そんなこんなで、今は会社の仕事を行いつつ、「多くの人に楽しんでもらう創作物を自分の手で作り続けたい!」という思いで、ろくに武器がないまま個人制作のゲームを作っています。
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