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苦しかった数年前のわたしへ

拝啓

コスモスの花が秋風に揺れる季節になりましたね。わたしはコスモスが好きです。元気ですか?

あれから数年経った私は元気に暮らしてます。自分で生活を営んで、いや営もうとしているところかな。

大人になったわたしは、あんなに大人になりたかったのに、大人になるのが怖いと思うことがあった。私なんて無理だと思う日々もあった。それでも、いまのあなたほど苦しくは無い。私ならきっと大丈夫。そう言い聞かせて、そう言ってくれる人の隣で、なんとか今日も生きている。

ついに私は24歳になったよ。生きててよかった。
小学生のとき、プロフィール帳であった「何歳で結婚したい?」という質問に24歳と答えたことは覚える。今の世の中、とてもじゃないけど24歳じゃ結婚なんてできないよ。

幼いあなたが想像するより、大人はずっと子供なんだと知ったの。というか、大人なんて幻が作っているんだと思う。みんな大人のふりして、誰かを守るために、何かを守るために、そんなことも考えずに、大人の役割を全うしているだけなんだと、大人になって分かった。わたしはまだ全然大人じゃない。


大学生になって、居酒屋さんと塾の講師のアルバイトをして、社会の広さと学校の狭さを改めて感じた。居酒屋さんはちょっとお高めだからか、素敵な方ばかり。プログラマー、大学教授、フリーランスのデザイナー、メーカーのお偉いさん…素敵にお酒を嗜みながら、私の人生相談に何度ものっていただいた。塾では子供たちに勉強を教えつつ、学校も学年の垣根もひょいと越える子供たちに驚き、同時に羨ましくもなった。そんな場所、私も欲しかったな。

振り返っても、私は学生時代「辛かった」「苦労した」て思うよ。今、その真っ只中にいるあなたは辛いよね。大変だよね。まくらを濡らす夜が何度あったか分からない。人はいるのに孤独感はずっとあって、広い地球の狭い世界でひとりぼっちで生きてた。

辛かった時に、私のバイト先の塾のような場所があったら少しばかりは辛さが紛れたんじゃないかとか、親と学校以外で大人と関わることができたら今いる世界の狭さを知れたんじゃないかと、世界は広いから大丈夫だよと教えてくれたら、その広い世界に向かって生きることもできたんじゃないかって何度も思った。学生時代は世界が学校しかないことが絶望だった。でも同時に、私は知ることのできなかった塾の存在や、素敵な大人がいる現実を見て、私は同時に救われた。世界はちゃんと優しくあると。私は辛かったかもしれないけれど、救おうとしてくれる大人はいて、そんな場所を作れる力を持っていて、素敵にご機嫌に生きる方法もあることが分かっただけで私には十分だった。

中学も、高校も、大変だし辛いことは山ほどあった。もう死んじゃいたくなる日々もあった。自分で自分を傷つけて正気をなんとか保ってた。笑えない日があると思わなかった。笑い方は忘れてしまうのに辛いことは全部覚えていて、それも鮮明に、
全部忘れちゃいたい。ここから居なくなりたい。消えたい。私なんていない方がいい。存在する価値なんてない。どうしてわたしは生まれてしまったんだろう。産まれなかったらこんなに苦しむことなかったのに。わたしはいつまでこうなんだろう。いつまで苦しめば、何度苦しめば、これは終わるんだろう。傷つけられるなら、関わらない方がマシだ。辛い。苦しい。消えたい。生きたくない。もう死んじゃおうかな。


そんなこと何度思ったんだろうね。

それでも、そんなことから数年経ったら大学生になれていたんです。びっくりだよね。それも先輩も後輩も慕ってくれて信じられなかった。確かにちょっと無理してた部分があったかもしれないけれど、今までの苦労が至る所で活きて、良かったと安堵した。大学生は人に囲まれた。大変だったことも無くはなかったけれど、今までの辛さと比べれば何一つ、大変で苦しいことはなかった。今までいかにハードモードの人生だったかを思い知った。やっと人並みに平穏な日々を送れたと、ほっとした。信じられない。夢みたい。覚めないことを願った。

卒業した今も尚、覚めていないということは夢ではなかったとやっと実感できた。卒業した後、後輩に会ったときも嬉しそうだった。わざわざ休日に会うということは好いてくれていると受け取って良いよね。大学のあの場所は、私が初めて人間関係で苦しまないで、やりたいことを純粋にできた場所だ。はじめて「あの頃に戻りたい」という気持ちを理解できそうに感じた。

そして人を信じなかった私が、過去のことなんか誰にも話したくないと思っていた私が、人に話す時がきた。まさかそんな日が私の人生にあるなんて思ってもみなかった。その人がわたしの隣にいて、もう一年以上も経つことにも驚く。恋も愛も信じないと思ったのに、わたしの隣に好きな人がいる。私はもう死んじゃうのかなって。

大学院の進学は突然やめちゃうし、無職しちゃうし、まだ正社員じゃないけれど、そんな自分に不安もあるけれど、たぶん私なら今までみたいに逞しくやって行けるんだと思う。


今の私の未来のことなんて、当たり前にこれっぽっちも分かんない。これから先も苦しくなるときも来るだろうし、辛くて泣く日々もあると思う。でも、今までこれだけ頑張ってきた私だから、きっとなんとかなるし、周りに人がたくさんいるの。だから人がいてくれる限り、わたしは大丈夫だと思うの。

今はひとりぼっちな気がして辛くて苦しくて、泣いちゃう毎日かもしれないけれど、たくさん泣いていいと思う。泣きたい時は泣こうよ。笑いたい時たくさん笑えるようにさ。

さみしかったら本を読もう。
今の私がいるのは、絶対に本を読んできたからだよ。わたしは本に支えられているし、人がいない分友達だったし、わたしの憧れる世界はそこにたくさんあるから、わたしの心を満たしてくれるものになるよ。

辛かったら音楽を聴こう。
もしかしたら音楽なんて聞きたくない時かもしれないけれど、わたしはやっぱり音楽が好きみたい。音楽は吹奏楽だけじゃない。ピアノもクラッシックも、ポップスもなんでもいい。音楽の世界もひとつじゃない。聴きたくないものは聴かなくていい。でも、癒しにはなるよ。
それか自分で演奏してもいいよ。わたしはピアノが弾けるじゃないか!サックスが嫌ならピアノを、ピアノが嫌ならサックスを。好き勝手やってしまえばいい。結局わたしは音楽が大好きだからさ。

世界が狭くて苦しいのなら、広い世界に逃げればいい。逃げることは悪じゃない。いけないことでもない。辛い場所で頑張り続けても、辛いことばかりだよ。だったら場所変えて、楽しい場所で楽しいことをやろうよ。逃げることは同時に自分を守ること。辛い場所は自分と合っていない合図。無理に居なくていい。世界は広いから。
いっそのこと一人旅に出よう。わたしはもっと早く一人旅したかったなと思う。素敵な場所が山ほどある。日本の中でも、県の端から端でも、世界は全然違うんだよ。世界は広い。それは見たいと確信できない。広い世界があると知れるだけで、私にはきっと希望になる。

どうやら生きられる世界は山ほどあるし、頑張ったものはちゃんと糧になるし、「本当はこうしたいのに」と思うことはやっぱりした方が良いみたい。

思っているよりも、世界はわがままな方が生きやすいみたい。だからちょっとだけわがままになってみて。

わたしにできることって、書くことしかないからさ。やるかやらないかはあなた次第。さあ、あなたはどうする?たくさん考えて考えて、考えてみて。
その考える力も、今の私の糧だよ。

さて、食欲の秋がやってくるね。いつどんな時でも、美味しいものは世界を救うのでたくさん食べてください。秋風が心地よいですね。ぜひ旅にでてみてください。素敵なものに出会えるはずです。
それから、数年前のわたしにはさっぱり分からないと思うけれどどうぞご自愛ください。たくさん愛してあげてください。わたしらしくいてください。

敬具

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