「あなたなら大丈夫だよ」
そう、何度言われてきたことか。
幼い頃、母や祖父母に。
今は加えて、友人達や恩師にも。
「あなただったらどこにいっても大丈夫だよ」
皆、私のどこを見てそう思うのだろう。
いつだって私は自信が無い。
なんにも持っていなくて、なんにもできないから、
たくさんの犠牲を払って
少しずついろんなことを身につけた。
そうやって頑張ることに対して友人から
「きみの努力は才能だよね」と言われた。
何でそんなこと言うの
何も無いから ”頑張る“ 選択肢しかなかったのに。
私にはそれ以外の方法が分からないから
そうするしか無かったのに。
でもきっと私のそんな姿から
「あなたなら大丈夫」
って言葉が出てくるんだろうね。
こんな私のどこが大丈夫なんだろう。
何を根拠にそう思うのだろう。
私は私が1番心配で不安だよ
他人よりも少しだけ器用かもしれない
でも、他人ができることは私には同じ時間じゃできない。
常に他人の数倍の時間と労力を割いてようやく
私は人並みになれるの。
それともしかしたら私は自分の中の基準が
他の人よりも高いのかもしれないと最近思う。
だからその、少し高めの目標を達成するために
他の人よりも少し多くの頑張りが必要なのかもしれない。
そうやって私はいつだって犠牲を払って努力した
でも、その努力のほとんどが “頑張る” 以外を知らないなら
それしかできないから
やるしかない。
それだけでなんとか踏ん張ってやったんだ
どれだけやっても私は自信なんて持てないんだよ
だって私よりできる人はうんといる。
努力するのはどちらかといえば楽しいけれど
それでも自分のできないことや弱さと向き合い続けるんだもん
辛いし苦しいし、できることなら辞めたいよ。
だから、「あなたなら大丈夫だよ」なんて
本当は言わないで欲しい。
大丈夫な私になるために、
私はまた努力するしかないのだから。
自分だって不安だから、そこに期待を乗せないで。
乗せられた分だけ、重くなる。苦しくなる。
大丈夫な私にならなきゃって義務が発生するのが辛い
私はずっと、自信なんて無いんだよ。
それでもどうにかしようって
もがき続けているんだよ。
“努力” くらいしか取り柄がないから
私は今日も誰よりも努力するよ。
だってそれしか、私には無いから。
でもそろそろ、そんな私の姿を見て
「あなたなら大丈夫だよ」なんて言わないで
それはものすごくプレッシャーで
私が背負うには重たすぎるんだよ。