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「旅そば」万歳! 二枚目 高遠そば

無類のそば好きを自認するH助が、旅先で出会ったそばについて書き綴るのがこの連載です。ただし、当方、ウンチクの多いそば好きではなく、ただ単にそばを食べるのが好きという輩。偶然出会ったその地方ならではのそば(=旅そば)を、のどごし良く紹介していきます。

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1本のねぎが箸⁉︎
由緒ある宿場のそば
『高遠そば』 福島県南会津郡・大内宿

 これまで旅先ですすったそばの中で、度肝を抜かれたそばベスト3に入るのが、福島県南会津郡の大内宿で食べた「高遠そば」だ。なんと、箸のかわりにネギを使い、そのネギはそばの薬味としていただくことができるという、なんとも風変わりなそばなのである。
 高遠そばとは、会津若松地方で古くから食されているそばで、そばつゆは出汁+醤油ではなく、辛味大根の絞り汁。薬味として焦がし味噌を使うのが一般的だ。
 しかし、高遠は長野県の町。それがどうして会津若松の郷土そばになったのか。

 江戸時代、会津藩の名君として知られた保科正之。二代将軍・秀忠の4男であったこの方、幼少期に養子に出されたのが信濃の高遠藩の藩主・保科家であった。高遠という地は古くからそばの産地で、どの家庭でもそばをつくり食べていた。当然のことながら、この地で育った保科正之は大のそば好きになる。
 その結果、保科正之は、移封された出羽国山形藩、そして陸奥国会津藩でもそばを広め、特に会津藩では多くの人々がそばを食べるようになった。人々は、そのそばを、藩主の保科正之と縁のある高遠をそばの名前につけて「高遠そば」と呼ぶようになった。以来、会津若松では、高遠そばが郷土のそばとして長く愛されるようになる。
 この高遠そばに、ねぎを箸代わりに使うというアイデアを取り入れたのが大内宿の三澤屋である。

 大内宿とは、会津若松城下と下野の今市を結ぶ街道の宿場町で、交通の要衝であったためかなり賑わっていたらしい。その当時の面影を今に伝える茅葺の家屋を残し、往時の姿を後世に伝えるために整備されたのが大内宿である。たしかに、足を一歩踏み入れると、遠い江戸時代の宿場に入り込んだような気分になってくる。
 その大内宿に入って、すぐ右側のところにあるのが三澤屋。茅葺き屋根の古い建物をそのままお店にしており、木戸をくぐって中に入ると、渋柿色の柱と床が迎えてくれる。

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高遠そば 1,320円

 さて、件の高遠そばだが、たしかに箸のかわりに1本のネギ。なかなか太いねぎなので、そばをすするときに少々とまどってしまうが、慣れてしまえば問題なし。少しかためで、綺麗なそばの実色の麺を一気にすすれば、さわやかな大根おろしの風味が口に広がる。そばも冷水でしめられているので、いつまでもしっかりとした歯ごたえと清涼なのどごしが感じられる。私たちが訪れたときには、柿のおしんこがお通しとして出されていたが、そうした地元の味を楽しめるのも三澤屋の人気の秘密なのかもしれない。現に、休日ともなれば、三澤屋の前には長い行列ができる。
 ちなみに三澤屋の高遠そばは「ねぎそば」とも呼ばれ、今の大内宿にはかかせない名物そばとなっている。

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【三澤屋】
福島県南会津郡下郷町大字大内字山本26-1
TEL 0241-68-2927