81:記憶の壁
記憶を整理する。
進むといつか、壁にあたる。
エッセイ、自分の考えを膨らませて書くとき、
過去を振り返ると同時に、大きな壁にぶつかる。
自分史を探す、思い出を膨らませて、
そのストーリーの根源を探すとき、
全く進めない記憶の壁のようなものが存在する。
多かれ少なかれ、その壁は、
過去のトラウマ、恐ろしい感情で形成されたブロックだ。
中々進めない。
誰かに傷つけられたこと、
自分を傷つけたこと、
その憎悪と悲しみが僕をとどまらせる。
整合性を保ったまま、記憶をアウトプットして描く。
どこまでその壁と戦って、諸悪の根源と戦うか。
どう描くかが、問題なのだろう。
エッセイも小説も詩も、
極論、人の記憶の出鱈目(デタラメ)だ。
ただその出鱈目を偏狂して書くことも、
その作品の面白さだ。。
整合性がある文章、正確さが求められている現代。
起承転結、序波急、オノマトペ
全てが整列した文章を描くこと、これも大切であろう。
しかし、人の知識や記憶、常識が出鱈目であるのなら、
記憶違い、無駄な横道、不便な抑揚。
これを受け入れて、変な文章、エッセイを書くことも面白いのではないだろうか。
その壁を正々堂々超えるか、
難癖つけて横に回るか、
無かったことにして壊すか、
変に蒸し返して穴を掘るか、
そこには無限の正論とだべりが蔓延っている。
だから、文章を書くことは面白いのだ。
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