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52:いいなり

誰かが望んだ夢を目指すこと、
自分の夢として落とし込めないものは、
決して幸せになどなれない。

僕は実家の跡取りとして育てられた。大人たちは僕をそうするように仕向けていたらしい。僕自身はあまり感じなかった。

就職活動が全て終わり、帰省した僕に母はカミングアウトしてくれた。大切に育ててくれた人だ。裏切るつもりは無い。だか、それを言われて僕はショックだった。

自分のことをしっかり考えて出してくれたのは、育ててくれた家族である。それでも跡取りとして育てたという事実。そして、違う方向に進もうとする僕。

嫌な葛藤が始まる。僕の選んだ道は正解だったのだろうか。家族を裏切るような行為だと勝手に考えるようになった。

自分が選んだ世界に飛び込む。そのための覚悟を決めたつもりだった。

それでも揺らぐのは何故だろうか。モヤモヤするのは何故だろうか。

家族と過ごした日常も、他愛もない空間も、話してくれた思い出話も、全てそれの為に話したことだったのか。

僕は葛藤する。

だが、同時にこんなことも考えた。

他人基準の幸せは自分を苦しめる。

どんな家庭でもそうだろう、と思いたい。
スネかじり、親の七光り、○○二世という言葉達が日本、会社に残っているということは、誰かは同じ状況を経験しているのかも知れない。

だからこそ、違う世界に飛び込むこと。

それは僕にとって大きな価値があるのだ。

大切なことは、周りにどうこう言われたことじゃない。

自らの意思でこの仕事、会社、社会、世界に飛び込むこと。そしてそれを忘れないことだ。

職業選択の自由、なんて形式ばったものじゃない。

自らの自由の為に働くのだ。

僕は学生しか経験していない。
教えてくれる道はさぞ、その人にとっては楽なのであろう。

しかし、自分の決断を見逃す訳にはいかない。
そこに進んでそれが、「ああ、これじゃないのかもな。」と思えば、話を聞けばいいわけで、決断を揺るがすことはしてはいけないのだ。

僕は自分の弟にもそれをやってる節があった。

弟は自分より運動ができて、部活動はバスケ部に入れば、即戦力として戦えるだろうと思い、会うと毎回そう話していた。

弟の顔は晴れやかではなかった。

自分の価値観を他人に言うことは、自己の独立性と、他人との差を顕著に見せてくれる。

少し反省しなければな。

僕は自分の選んだ道を、

信じる。

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