80:当たり前
当たり前。
僕はこの言葉によく苦しめられてきた。
「しっかりしていて当たり前。」
「モテなくて当たり前。」
「頭が良くて当たり前。」
他人から言われたこと、自分で自分に暗示したこと。
それは、気付かぬうちに僕を追い詰めていた。
他人が決めた自分になるために、
自分自身に暗示してきた。
積み重なった当たり前は、
僕をがんじがらめにさせた。
僕は気づくことも今までできなかった。
休日、僕はいつも動けなかった。
「休日勉強していて当たり前。」
「街中で見かけなくて当たり前。」
「友達と会ったらちゃんと挨拶して当たり前。」
いろんな当たり前が僕を家にとどめた。
当たり前ってなんだろう、こう考え出したのは
あのウイルスで地元に帰ってからだ。
「大学に休まず行って当たり前。」
「友達が気持ちよく過ごせるようにふるまって当たり前。」
ほかにもいくつかあった当たり前が取っ払われた。
世界が変わる、そんな時当たり前は無意味だ。
儚く取っ払われたその当たり前の空間に、
僕は新しい当たり前を植え込んだ。
「当たり前は、いつか崩れて当たり前。」
そんなものだろうという当たり前を僕に植え付けた。
僕は少し動けるようになった。
世界が常識を少し変えたように、
僕も自分自身を都合よく作り替えたのだ。
変化の当たり前を手に入れて、
自由な世界を見つけることができた。
日々過ごしていると、当たり前に支配されていることに
簡単には気づけない。
遠巻きに自分を見つめて初めて当たり前が見つかる。
それは時間であり、状況がそうさせてくれる。
これから十年先、二十年先。
僕はまた凝り固まった「当たり前」を担いでいることだろう。
そして苦しんでいることだろう。
そんな時は、余白を見つけて、
当たり前を置いていこう。
その当たり前はもう、
当たり前じゃない。