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人の心を操るのは、 沸々湧き上がる自己防衛の精神と、 見え隠れする探究心だ。 傷つきたくない、辛い思いをしたくない。 大変なことをしたくない、たくさん作業したくない。 どれも人の根本にある自己防衛の精神から来るとすれば、 それは正常に働いているのである。 自らを表舞台から隠し、 普通の歩幅を矯正する。 ズレること、羽ばたくことを良しとしない。 己を守ることの延長戦でしかない。 だがその二元性の対をなす、探究心を忘れてはならない。 知りたい、やりたい、楽
このインターネットの世界で、 人々は自らを隠して生きている。 化けの皮は一切剥がさず、 理想の自分を演じ、好き勝手に文句を言っている。 自分の姿が、世界に解き放たれた時、 皆は同じように話せるのだろうか。 大きな声で、ネットの世界で歌えるか。 僕は歌いたいんだ。
心待ち。 心からその事象を待つさま。 なんて素敵なのだろうか。 自分の内情を表に出し、 相手のことを真に思い、 その事象のために、内をさらけ出す。 心の声は大きい。 もう1人の自分が、中で叫び続ける。 最高の共鳴が、 心待ちである。
『諦める』の語源。 それは『明らかに見極める』ということ。 私は人から必要以上に多くの情報を吸収してしまう体質だった。 悲しい気持ち、辛い気持ちを感じてこっちまで苦しくなることが多かった。 学校でいい成績を出している人。 部活動で一番うまい奴。 画面越しのプロスポーツ選手や著名アーティスト。 この人たちには共通点があった。 それは『目』であった。 栄光を手にし、周囲から期待されていても、 彼らの目は、泣きそうだったのだ。 トップを目指すこと、優秀で居続け