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本当の自分は?―「千と千尋の神隠し」にもヒントが

前回、義務教育後半からの学校生活の中で失われた心の自由に少し触れた。

では心の自由は(完全にではないにしても)どこで失われたのか。おそらく義務教育後半からの学校生活の中で、出る釘にならないため抑圧された考え方・振る舞いをして集団に順応して来ざるを得なかったその過程だろう。

「私にとって海外とは」

小学校までは自分の「好き」に忠実に、自由な子供時代を謳歌した。幸運だった。それを許容してくれた周りの環境に感謝しなくてはならない。

それまでは、誰かに合わせて好き嫌いを決めたり顔色を窺って行動したことは少なかった。多少あっても割と些細なことで、自分の中に大きな葛藤や違和感を抱えるようなものではなかった。

人を笑わせるのが好きで自分から率先してバカなことをやったり。お楽しみ会でパロディー劇を企画し友人と3人で演じて、クラス全員が「面白かった」に手を挙げてくれて大きな満足を得たり。人と違うことをすることに特に大きなためらいを感じることもない、自由な発想の子供だった。

しかし、中学校で大きな洗礼を受けた。真の日本社会への扉、同調圧力だ。同調圧力自体は、どこの国でも社会でもある程度はあるだろうが、自分の中ではこの時期がターニングポイントになったことは間違いない。

きっかけとなった思い出が2つある。舞台は公立中学である。

① 中学一年生の最初の自己紹介

期待を胸に中学生になった。他の小学校出身の子の方が知っている顔ぶれより多い。40人程度のクラスで、私は出席番号30番台の位置にいた。用意された自己紹介テンプレのプリントの中に、好きな科目・嫌いな科目という項目があったことだけは覚えている。

プリントが配られるやいなや、迷わず嫌いな科目に「体育」と書いた。好きな科目には確か「国語」と書いたような気がする。

                 ♢

そうしているうち、新しいクラスメイトの自己紹介が始まった。出席番号順に一人一人前に立って発表する。

嫌いな科目「数学」「数学」「数学」「国語」「数学」「数学」…
圧倒的に数学が多かった。体育を嫌いな科目に挙げた人は、なんとゼロ

好きな科目「体育」「体育」「体育」「体育」「体育」「体育」…
他の科目もあったと思うが、体育が圧倒的である。

体育が好きな人ばかりだから、体育と言う人がいるとクラスが盛り上がる。数学が嫌いな人が多いから、数学と言う人がいると共感の声が上がる。

クラスが沸けば沸くほど、私の中にはじわじわと焦りの感情が湧いてくる。手に汗をかいた。

                 ♢

この状況の中「体育」を嫌いな科目として発表するかどうかは、中学に入学したばかりの私には葛藤だった。発表したら、クラスの空気はどうなるだろう。明らかに変わったやつだと思われるかもしれない。体育が嫌いな人の漠然としたイメージとして当時ありがちだった、なんか暗いという印象をしょっぱなの自己紹介だけで与えてしまうのかもしれない(ただただ勝手な偏見でしかないが当時の学校と言えばこんな認識があったように思う…)。

何よりこのクラスにいる誰とも「違う」「自分たち(のうちの多く)が一番好きなものが一番嫌いだと言う逆の」存在だと認識される。「違う」「逆」と認識されても安全が保障される心理的安全性はまだ担保されていない(根底にある同調圧力+ほぼ初対面同士のクラスメイト)。

正直、クラスで大多数を占める好き「体育」・嫌い「数学」の真逆の組み合わせ(好き「数学」・嫌い「体育」)の方がだいぶ納得感がある自分。クラス編成早々、居心地悪く感じた。

                 ♢

私は迷った。自分の直前まで迷って「体育」を嫌いという人がいれば、私も「体育」と言おう。

でも、いなかった。

私はテンプレ的に嫌い「数学」・好き「国語」と言い、クラスからはごく普通の反応を得て自己紹介は終了した。

中学生ながら保身に走った。中学しょっぱなの体育好きな人ばかりのあの状況で「体育嫌い」をクラスにぶち込むことはやはりできなかった。最初から「なんか変わっている自分たちとは違う(逆の)子」というややマイナスの状況から始めるリスクを負えなかった。

                 ♢

今なら言えるが、自分の好き嫌いを人に合わせて決める(表明する)ことは、本来の自分を見失う第一歩である。好き嫌いの積み重ねが自分という人間を作るのに、それを人に合わせて決めたら、出来上がった人はもう誰だかわからない。

それに好き嫌い(または得意不得意)などに自分の興味関心、強み弱みなどが関わっているのだから、社会で生き延びるため順応戦略を取ったとしても心の奥底では、本当は自分はどう思うかは忘れてはいけないのだ。「千と千尋の神隠し」の千が本当の名前を忘れたら元の世界に戻れないのと同じことだ。

ハク「湯婆婆は相手の名前を奪って支配するんだ。いつもは千でいて、本当の名前はしっかり隠しておくんだよ。」
~中略~
ハク「名を奪われると帰り道がわからなくなるんだよ。」

スタジオジブリ「千と千尋の神隠し」

しかし私は、しばらく忘れてしまった。というか、自分について考えること自体を忘れてしまった。帰り道がわからなくなったのだ。その結果として前回の投稿につながるのだ。

② 飯盒炊飯とマシュマロ

これも中学一年生の時の話。6月ごろだったか、初めての校外学習として飯盒炊飯に行った。作る料理はカレー。クラスで6人くらいずつの班に分かれて、事前にどうやって作るかを調べたり、材料はどうするかなどを話し合った。

ルールの1つに、「お菓子は持参してはいけない」とあった。

でも、飯盒炊飯である。直火である。カレーの具にはちみつやチョコレートを入れるなんて話も普通にあるくらいだから、班でカレーの具にマシュマロを入れることを提案し、当日を迎えた。せっかくの直火でマシュマロを焼いて食べたかったし、そうしたら楽しいと思ったのだ。

当日はカレーの材料としてマシュマロを使ったが、残りを班のメンバーでそれぞれ数個ずつ直火で焼いて食べた。班では盛り上がったが、それほど大騒ぎはしていない。他のクラスの担任だった怖い体育の先生が、「あら」という感じで見ていたが(基本体育の時と変わらない表情である)、特に何も言われなかった。

                 ♢

後日、飯盒炊飯の振り返りが各クラスで行われた。私のクラスでは特筆することなく終わったが、別のクラスの友人の話を聞いてとても驚いた。なんとそのクラスでは、「別のクラスでマシュマロを持参して焼いて食べていた人たちがいる」と指摘した生徒がおり、議題に上がったというのだ。

背筋が寒くなった。多少屁理屈ではあることは自覚していたが、カレーの具材は自由というのもまたルールだった。具材に使ったマシュマロをつまんだことがほかのクラスで話題になるくらい悪いことだったのだろうか。甘いものならはちみつを持ってきていた班もあった。そして他のクラスの知らない人たち(私たちの班、発案者は私)のことを、終わった後に別のクラスで取り上げる人がいたとは…。

その結果、先生からお咎めがあったりしたわけではない。ただ、私はルールの中で工夫して楽しむことも目的だと思っていたのでとても驚いたし、こういう風にちょっと工夫したり目立ったことをするとやっかみにあうんだと学んだ。むしろ、これくらいで学べて良かったのかもしれない。

それで、中学一年の6月にして、できるだけ出る釘的にならないよう変わったことをしないこと、みんなと同じようにすることが、中学校における処世術だと(勝手に)心得た。

                 ♢

それ以降はこういったエピソードはなかった。だが、社会に出てみると明らかにルールが違うことがわかる。決められた予算、ルール、制約の中でどれだけ工夫してできるかが仕事では求められることが多いし、ただただ他の人と同じようにやっていたのでは、あまり意味も発展もない。同じ仕事なら楽しんでできるよう工夫できる人との方がチームのメンバーも楽しい。マシュマロの話から飛躍しすぎかもしれないが、私の中では根底で通じている。

さらに今は日本においてもイノベーションが強く求められている。イノベーションが大事なのはわかるけれど、教育の過程で働く同調圧力はむしろイノベーションと真逆の方向に向かっていることが少なくない。ダブルスタンダードである。

もっともっと一人一人が個性を活かすことができ、好きや得意や工夫が奨励される学校になってほしいと思う。もしかしたら、今の学校は昔とは変わってきているのかもしれないが。

※トップ画像はこちらからお借りしています。


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