100. ひゃく。
記念すべき、ひゃく。
仕事で行っていた岡山から先ほど東京に着きまして、いまは電車の中です。新橋から急に東京の空気になったな。どこもかしこも人がいっぱいで、どこもかしこもザワザワしてる。
100、という数字がつくまで文章を書いてみたけど、振り返ると何かをやってきたような気もするし、まるで何もできなかった気もします。でももしこれを逐一読んでくれていた方がいるなら、本当に本当にありがとうございます。
noteで文章を書いてるんだ〜と人に言うと、何を書くの?とよく聞かれました。何を書いているんだろう。一応、気持ちとか見えたものとかそういうもの、と答えていましたが、いつもなんとなく口ごもってしまいました。
わたしは、何を書いてきたのかな。
意味のないように見えることに力を注ぐのは、大人になればなるほど、勇気がいるような気もします。時間を無駄にしているんじゃないか、自分は残念な人生を歩いているんじゃないかと、不安になる。だから私は会社に入って、作ってもらっているフィールドのうえで、意味がありそうなことに力を注ぎ、お金をもらうことで安心している。自分は誰かに必要とされている、と確かめている。
でも素直にいえば、わたしが本当にやりたいことは、たぶん、誰かの人生に必須の何かではなくて、あってもなくてもいいようなものをつくることなんだろうと思います。
会社に入ってから、いろんな業界の人と仕事をしてきました。IT、物流、福祉、税理士、雑貨屋さん、デザイナー、不動産、塾、、、自分が暮らしている社会の中で、どういう順番でものが生まれて届けられて、日常が出来上がっているのかをたくさん見せてもらうことができました。どれもこれも、なくてはならない仕事でした。採用の仕事をしているとよく「人の役に立つ仕事がしたい」と聞きますが、役に立つから、お金をもらって仕事になっているわけで。社会、というのはこうやってできてるんだなとなんとなく分かるくらい、いろんな仕事を知ることができました。
それぞれの仕事の尊さと面白さを学ばせてもらって、そして、それを経てやはり、私が1番自分らしく心を注げるのは、綺麗な景色や面白いものや愛おしい瞬間を見て、それを誰かに伝えようとするときだと気づきました。0から1を生み出すのはあまり上手にできないけど、今のは美しかったな、と見つけるのは好きだから、それを誰かに伝えて、その人の中でもじわっと広がってほしい。そういうことが、できれば、わたしの存在価値であってほしい。
岡山は空が真っ青でした。
11月のスッとした空気とお日さまを感じるくらいの暖かさが一緒になって心地よくて、電車から見える家々は、こどもが絵に描く1階建ての屋根の上にぽんっとちっちゃい2階をのっけたような形が多くて、何だかみんな可愛くてふふっとなりました。あるお家の軒先に小さなオレンジ色がぽつぽつ連なって吊るされていて、今が干し柿の季節なんだと知りました。
社会で働く人々を知ったからこそ、日常の至るところに、それぞれの暮らしが何層も重なっていることに気づけるようになった気がします。
ひゃくを超えたこれからは、私が見た美しいものや誰かに話したくなっちゃった愛おしい瞬間に、焦点をあててみようかなと思います。ふとした時にお付き合いいただけたら、とても嬉しいです。