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私は日本で苔を生やすことにした

世間ではよく「住めば都」と言うが、私はこう思う。
人は都を、自分の居場所を探し求めるものなんだと。
そしてそれが人の定めなんだと。


「A rolling stone gathers no moss.(転石苔を生ぜず)」
私の幼少期は、正にこの古びた格言そのものだった。

通った幼稚園と小学校は計8。
引越しはもはや遠足気分の年中行事だ。

「自己存在感」や「地元意識」が芽生える訳もなく、
拭いきれない「流れ者意識」だけが私を蝕む。

とうとう高校を半年で辞め、引きこもる。
それから10年間は青春ならぬ冬眠の長い冬。

今考えると実に情けない上にもったいないけど、
その長い立ち止まりのおかげで、今がある気がする。


さて、10年もの歳月散々悩みまくっていたのだが、
気づけば悩むことすら諦め、逃げ回るありさま。

だが人間そう簡単に変われるものじゃない。
私みたいな弱い人間にはとてつもなく巨大な壁だ。

私にはもうやる気すら残されてなくて、
薄れていく自分がそこにいるだけだった。

だけど転機ってのは本当に思わぬところから姿を表すものだね。
雪解け水の冷たさで目覚める季節は、割と突然やってきた。


それは東京のとある下町。
見知らぬ街は驚くほど心暖まる空気に包まれていた。

水撒きする人の無造作な動きも、風が運ぶかすかなコーヒーの香りも、何もかも愛おしく感じる。

そして路地の一角にひっそりと佇むゲストハウス。
一体何なんだここは。

そこには出身も、素性も、主義主張もなく、
心通わす喜びと、広がる人の輪だけがあった。

今までの苦しみもしがらみも、バカバカしい。
この場所が好きで、この場所に集う人達が好だ。

生まれて初めて「ここにいたい」と、
この空気の中で生きていきたいと強く思った。

私はついに巡り会えたのかも知れない。
初めての「自分の居場所」に。


「自分の居場所」とは何とも不思議なもので、
絶えず連鎖し、また新たな「自分の居場所」へ誘う。

その連鎖の中で私は考える。
「自分の居場所」というのは何だろう。

世の中のものさしから解き放たれ、人と繋がる喜びのある場所。
分かち合う時間が思い出になる場所。

お互いが自分らしく、自然体にいられる場所。
自分を受け入れ、人を受け入れる場所。

「自分の居場所」ってのはこの世界を生きた人の数以上に数多あって、
自分を諦めない限り、いつかそこに辿り着ける気がする。


かくして「転石」の私は、日本に留まり苔を生やすことにした。
9年かけてずいぶん遠くまで転がってきたけど、これからも「苔生やしの旅」は続くはず。

まだまだ「自分の居場所」のことは分からないことだらけなんだけど、
やっと一つだけ解ったことがある。
「自分の居場所」は「生きる力を与えてくれる場所」なんだと。

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