モノズキン

ソウル出身。福岡在住。モノズキな日常。

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最近の記事

パスポートに先を越された変化と成長の話

気づけばパスポートの有効期限が近い。 もう10年か。 SFの舞台にしか思えなかった年度が、とうとうリアルにきてしまった。 せっかくなので、ちょっぴり電脳化の気分で領事館へ。 近所を通る度、密かにその煌びやかさを貶していた己の所業のせいか、初めてくぐる分厚い二重の鉄扉には日常とは少し違う味の緊張感が漂う。 館内は広々としている割には職員が少ない様子で、パスポート担当が一人にビザ担当が一人。 久々の母国語を発して尋ねたところ、こりゃまあ初っ端から大失敗らしい。 外部で撮ってき

    • もんぺデビュー、暑がり&汗っかきに幸あれ

      待ちに待った第10回もんぺ博覧会。 実に4年ぶりの開催という。 果たして数百本の中から、自分のオンリーワンを無事見つけ出せるのかと怖気づいていたのだが、意外とあっさり一本目が見つかった。 韓国でもトップクラスの暑がり&汗っかきの部類に入る私にとって、これは期待以上の収穫だ。 無論100%リネンの通気性には及ばないが、綿特有のサラサラ感はさることながら、絣ならではのデザインの豊富さに加え、比較的お手入れしやすい点も素晴らしいの一言に限る。 暑がり&汗っかきには絶対の「逃れの

      • 猫の争う声がする夜に

        今の家に引っ越してちょうど1年が経つ。 すぐ手の届きそうな距離にある川、そして遠くの山々に掛かる夕日を背景にして競うようにダッシュする新幹線と飛行機が見えるこの眺めがとても好きだ。 もう一つこの町が好きな理由は「猫」である。 確か以前住んでいたところも、近所で猫の集会が開かれるほど猫天国だったな。 人が座っているベンチの横、等間隔に連なるベンチのほとんどを占領した猫自治会の異様な光景は、きっと一生忘れることはないと思う。 今住んでいるとこもそれに勝るとも劣らないくらい、実

        • 祈れ呪うな、あれは荒ぶる神だぜ

          近頃丸い虹を襟元に飾った人が大分増えてきた。 調和を謳う輪の正体は揺らぎのない善であると信じたいが、私はどうもその輝きが不気味でならない。 ただの杞憂でしかないが、新時代の秩序になりつつあるその十七戒が、人の希望と尊厳を蝕む呪縛となるのが怖くて仕方ないのである。 この間、今までない新しいコラボを通しSDGsを語るという某トークショーに参加してきた。 どっちの起業家さんも非常に興味深い取り組みだったが、SDGsに関しては無理やり後付けされたとしか思えなかった。 果たしてSD

          プレゼントって、いいね

          1910年、『白樺』のオーギュスト・ロダン誕生70年記念号を発行した柳宗悦らは、手紙に浮世絵を添え、ロダン本人に送る。 翌年9月にはロダンからお礼の手紙が、12月には「マダム・ロダン像」、「或る小さき影」、「巴里ゴロツキの首」の3作品が『白樺』の元に届く。 そして1914年、そのロダンの作品を観るため、京城府から柳宗悦を訪ねた浅川伯教がお礼の品として小さな李朝焼き物を持参する。 白樺派からロダンへ。 ロダンから白樺派へ。 更にロダンを追い求めた浅川伯教から白樺派へ。

          プレゼントって、いいね

          勇者よ目覚めなさい、冒険の前夜にて

          明日、新しい仕事が始まる。 まだ目にしたことのない新天地に赴くはずの足は、案の定フライングして地についていない様子。 日本に完全に移住してからの私は、かつて抱いていた夢をもすっかり忘却してしまっていた。 パッシブで、近視眼的で、閉鎖的な環境の中、正体不明の苦痛に耐えながら働いていたのはきっとそのせいだろう。 いつの時代にも「好きを仕事にする」ことをめぐっての議論は絶えないが、 誰しもが自分の世界において勇者たる資格と、冒険の機会が常に存在する気がする。 もちろん各々が所望

          勇者よ目覚めなさい、冒険の前夜にて

          北欧ヴィンテージとの出会い

          ごく稀に、美しいものを目の当たりにした時、全身に電撃が走ることがある。 かつてラドゥ・ルプーの生演奏が、京都四条通の景色が、ルメールの色使いがそうであって、直近ではある焼き物がそれに似た感動を与えてくれた。 アルミニアは元々国内向けの商品や、近隣国への輸出品を手掛けていたデンマークのローカルメーカー。 それがロイヤルコペンハーゲン陶磁器工場との買収合併で名を改め、1889年のパリ万博でグランプリを受賞するまでは、どうやら世界的な注目とは程遠かったみたいだ。 ただ世間様の評

          北欧ヴィンテージとの出会い

          「チ。」私にとっての地動説と天動説

          休み時間に立ち寄ったジュンク堂書店。 カバーに描かれた主人公らしき人物と目が合う。 「チ。-地球の運動について-」。 そのアストロラーべの先を凝視する目、天蓋を目指す指の向こうあるのは一体何か。 久々に手にする新品のマンガ本はビニール分以上に重たい。 不安的中といったところか。 僅か150ページあまりの紙面にギッシリと詰め込まれているのは、醜悪に歪んだ自画像の連作そのもの。 己が心底是とするものに挑めず、ただ逃げていた今までをこっぴどく罵られ、否定さているようで、気分が

          「チ。」私にとっての地動説と天動説

          1年間のヨガが教えてくれたこと

          2022年、ヨガを始めた。 1年半におよぶリモートワークで体は全身ガチガチ状態。 しかも甲状腺の病気になってしまい、ヨガはもはや自己管理というよりも、生存の手段に近い選択だった。 それから1年、週4ほどの地味なお家ヨガは幸いまだ続いている。 新しい仕事も一日中モニターとにらめっこで、惜しげもなく肩、首、足腰を苦しめるてくる。 ヨガ抜きでこの凝りや痛みと付き合っていくのは至難の業だろう。 ただ近頃はヨガをしても体の不調が続くことがあって、「ヨガだけでは足りない」ことを実感し

          1年間のヨガが教えてくれたこと

          誕生日プレゼントと細やかな決意表明

          年々歳をとることに無感動になっていくけど、これが「歳をとる」ということだろうか。 韓国では「歳を食べる」とも言うが、私はもう満腹なのかもしれない。 自分の誕生日に対してどことなく他人行儀なのは少し寂しい気もするけど、常日頃の感動が薄れてないのはとても有り難いことだと思う。 今年の誕生日には小石原焼のタンブラーをもらった。 外面の多くはザラッとしたガンメタル、外面の上部から内面にかけては深みのあるブルーが広がる。 その深海を連想させるディープブルーは、ついついカップの内側を覗

          誕生日プレゼントと細やかな決意表明

          読書筋のリハビリが必要だ

          私は正に「本の虫」という言葉がふさわしい少年であった。 ことの発端は、絵本を読みながらご飯を食べさせてた母のとても起用な優しさ。 オーロラ姫やアーサー王のおとぎ話は、ヘロドトスの歴史書と、トルストイの小説へと変貌をとげていく訳だが、何か読むものがないとご飯がすすまないという行儀悪さ極まるくせは相変わらず続いていた。 ただ一つ変わったことといえば、さすがにもう一人でご飯をたべる年齢になってからは、片手で本を読みながら片手でご飯を食べるというどう考えても活用の術のない新技が追加

          読書筋のリハビリが必要だ

          青春の青はインディゴブルー

          甘酸っぱい青春時代はあったのか聞かれると、「別にないけど文句あるか」と返したくなる。 これぞ受験大国うまれの悲劇と言うべきか。 まあ、せめてもの慰めではないが、少なくとも青春の香る音楽だけは常に側にあった気がする。 私は通称「渋谷系」で日本のポップに触れ、興味を持ち始めた。 そして渋谷系がニューミレニアムとともに華々しく散り始めた頃、韓国でもどんどん日本の音楽を経験できる機会が増えていった。 今振り返ると、それにはサブカルの影響が何よりも多大なものだったように思える。 9

          青春の青はインディゴブルー

          姫も王子もいないディズニー映画が好きだった

          記憶が間違ってなければ、人生初の映画はディズニーだったと思う。 幼少期の私は30年代の初期作から90年代当時の最新作に至るまで、ディズニーワールドにどっぷりとハマっていた。 その中でも特に魅了されたのは、子供には少々ダークな一世界観で、ごく平凡か変わり者の主人公が泥水をすすりながらも、仲間とともに何とか苦難を乗り越える物語ばかり。 どうやらその頃すでに「ひねくれ英才」としての前途有望っぷりが見え隠れしていたらしく、姫様やら王子様やらのきらびやかな世界はさぞつまらなかったに

          姫も王子もいないディズニー映画が好きだった

          よく名前を間違われる

          私の名字は「李(イ)」。 日本では中国式の読み方が定着しているため、初対面の人からは大抵「リー」さんと呼ばれることが多い。 私自身そこまで呼び名にこだわってないので、あえて訂正しようとも思わないが、時々面白いことになったりする。 これは某通信会社に光インターネットのお問い合わせをした際のやりとり。 <一通りの説明が終わった後> スタッフ:それではお客様なのお名前頂戴してもよろしいでしょうか? 私:「李(イ)」と申します。 スタッフ:「井伊」で間違いないでしょうか?戦国時代

          よく名前を間違われる

          そこに「i」はあるんか?

          最近インテリアにハマっている。 先日購入したダイニングテーブルがたまたまドンピシャだったのでいい気になっているが、せいぜいビギナーズラックである。 前住んでいた家ではそれほど拘りもなく、必要に応じて「物だけ見て」買い足すという、よくある素人以前の失敗を重ねていた。 それでかれこれ3年弱、まあこりゃひどい有様。 いつの間に我が家は、居心地良さの欠片もない空間になってしまってたのだ。 コロナ禍で在宅ワークが長引き、体の不調はいつにもまして深刻。 最初は健康的だった生活も次第に

          そこに「i」はあるんか?

          私は日本で苔を生やすことにした

          世間ではよく「住めば都」と言うが、私はこう思う。 人は都を、自分の居場所を探し求めるものなんだと。 そしてそれが人の定めなんだと。 「A rolling stone gathers no moss.(転石苔を生ぜず)」 私の幼少期は、正にこの古びた格言そのものだった。 通った幼稚園と小学校は計8。 引越しはもはや遠足気分の年中行事だ。 「自己存在感」や「地元意識」が芽生える訳もなく、 拭いきれない「流れ者意識」だけが私を蝕む。 とうとう高校を半年で辞め、引きこもる。

          私は日本で苔を生やすことにした