祈れ呪うな、あれは荒ぶる神だぜ
近頃丸い虹を襟元に飾った人が大分増えてきた。
調和を謳う輪の正体は揺らぎのない善であると信じたいが、私はどうもその輝きが不気味でならない。
ただの杞憂でしかないが、新時代の秩序になりつつあるその十七戒が、人の希望と尊厳を蝕む呪縛となるのが怖くて仕方ないのである。
この間、今までない新しいコラボを通しSDGsを語るという某トークショーに参加してきた。
どっちの起業家さんも非常に興味深い取り組みだったが、SDGsに関しては無理やり後付けされたとしか思えなかった。
果たしてSDGsは、互いの環境や文化、歴史、民族、言語などすべての相違を乗り越え、自由と平等、明るい未来を人に与えることができるのだろうか。
我らはやがて、等しくSDGsの17の目標と169の達成基準、232の指標から成る審判の門をくぐらないといけないかもしれない。
いっそ盲目かつ従順なる信徒と化すのが楽になれるだろうけど、今でも全然時代に追いついていない人の認識が更に置いてきぼりをくらうことを考えると、すんなり組しようにも抵抗感に苛まれてしまう。
SDGsとはまったくの無関係だが、ふとKIRINJIの「祈れ呪うな」という曲の歌詞が頭をよぎった。
ありとあらゆる不安が募るこのご時世を切り開く未来仏の顔は慈悲に満ちているだろうか。
か弱き衆生としては精々それが恵みの神であることを祈るばかりである。