黒田夏子『abさんご』

 表紙の袖のところに

「昭和」の家庭で育ったひとり児の運命

と書いてあってあんまりだと思った。

 こういう「巷で言われているところの」「典型的な」みたいなカギ括弧を外し、固有名を外し、さらに人々を分類する記号を外してくのがこの小説ではないのか。そうして文字を横向きに組むことで、語られている時間や空間や出来事から離脱する。

 そうして残るのは、親と子と、雇われた家事係という三者の関係のきわめて繊細な細部である。人々の関係を動かすその細部に目がとどき、余さず記述することは並ではない。並ではないことをやってのける語り手の位置のようなものを、上に書いたような淡さであると同時に厳密さであるものがうまいぐあいにマスキングしている。ああ、それはウケるわ、という具合に出来上がっている。

 後半に収録されている三作の短編「毬」「タミエの花」「虹」にはそういうところがない。こういうことを書きたくてみんな小説を書こうとするよなあ、わかる、と思ってしまうような、傷によってなした罪によって負った傷を癒やすための代償であるような語りに見られる無垢でなさは「abさんご」にも通底している。


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