バンジャマン・ペレ『サン=ジェルマン大通り一二五番地で』

 「ペレのテクストは常に、それが持っている形式の必然性を奪われ続けなくてはならないのである」と訳者の鈴木は解説で書いている。変な本で、ペレ自身がコントと呼んだ短編小説のようなナンセンスが並んでいる。さっきまでの状況は語りの中で忘れ去られ、時間は伸び縮みし、人間関係は矛盾する。ハチャメチャな(非)ナラティブにはシュルレアリストの皆さんお手の物であるサディズム、性器、グロテスクの描写や政治的な当てこすりが含まれるが、そこから無意識的な人間の本質に迫れそうなところもないし(そもそも厳格な自動筆記などでなく単にテキトーに書かれたらしいし)、ソローキンの『ロマン』みたいにひとつの形式に対して徹底した破壊を試み完遂するようなテクストでもない。ただ娯楽的でないゆえに面白い、あなたが批評家や理論家でないのならこの作家をそのように楽しむことができるだろう。

 ペレ自身の作品に対するおざなりさ、「どうでもよさ」を梃子に鈴木は議論を展開しており、それ自体はそれ自体はちょっと苦しいような気がするのだが、クリプキの名前理論を使ってペレの固有名詞がいかに通常ならざる仕方で実在人物とのあいだの恣意性を生じさせるかという分析は面白かった。


バンジャマン・ペレ『サン=ジェルマン大通り一二五番地で』鈴木雅雄訳、風涛社、2013年。

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