林芙美子のケアと気遣い(とオースティン)

 初めてケアと文学についての議論を読んだのは富山太佳夫の『英文学への挑戦』だったと思う。

 ジェーン・オースティンという、ポストモダン文学やなんかを研究している院生には(往々にしてまともに読まれもせずに)ケーベツされたりスルーされたりしがちな作家の作り出した凡庸ならざる小説技法を解きほぐす章は(書き口がとにかく嫌味ったらしいものの)見事なテクストの分析になっている。

 『プライドと偏見』は主人公の両親の会話から始まる。そこで描かれるやりとりの極めてミクロな双方向のケア/気遣いの背景には同時代の社会で前景化されていた看護や介護といった福祉的なケアの文脈があるのだが、オースティンの

作品の中では、同じひとつの場面において向き合うというのは、その当事者の間に存在する何らかの差異(階級、ジェンダー、年齢などのそれ)を浮上させ、その差異の前でためらわせ、錯覚させ、挫折させ、もし必要ならばそれを乗り越えさせるための多重決定的な場を提供することであると言ってもいいかもしれない。

と言われるように、ここで描かれるケア/気遣いは静的でもなく、一方向でもなく、必ずしも具体的でなく、瞬時に展開されてあらゆる場面に散種されるダイナミックなものだ。小説にはそういうものが描かれうるし、読み解かなければいけない。(読みたい社会的テーマをお仕着せるような仕方はスカタンであるという話。)

 林芙美子の短編を読んだときに、そんなことを思い出した。自らの幼少期を素材に舌自伝的小説である「九州炭坑街放浪記」と「風琴と魚の町」を見てみよう。2作を合わせると、語り手と両親が九州で行商をしていた頃から尾道に落ち着くまでが読み取れる。

 貧しく学校に行っても馴染めずに行商を行う12歳の少女の生活は、その貧しさのゆえもあって様々な立場の、しかしいずれも貧しい人々との接触に満ちている。「九州炭坑街放浪記」に登場するのは「坑夫あがりの狂人」とか、「親指のない淫売婦」とか、あるいは同じ年頃で行商をする松ちゃんやひろちゃんといった子供たち。彼らは互いに悪口も言えば、苦悩もするし、「どこまで行ってもみじめすぎる」境遇でもある。しかし生き延びるために無言の調停を行いあってもいる。それを観察するのはまた、ほとんど発話の描かれない語り手である。大人になった林芙美子は子供の声で語ることは出来ないが、語り手の子供の中に入って周囲の人を見つめている。

 「風琴と魚の町」では語り手と周囲の人物の関わりが顕在化する。常にお腹を空かせているまさこはだだをこね、口答えし、殴られ、父親の行商の場から追い払われる。しかし親は子供に余分に食べさせようとするし、本をよく読む様子を見てなんとか学校に入れようとする。子供はそれを知って、自己犠牲というのでなく、うどんの油揚げを父親に譲って喜ばせたりする。

 見知らぬ大人に叱られたり、帯がほどけているとからかわれたりすること、夜中に質屋に行こうとして階下のおばさんが井戸に落ちること、父親の逮捕といった数々の出来事のなかに人がつながりとか関わりとか呼ぶものの正体が描かれている気がする。暴力と紙一重の世界ではあるが、そのときの言葉は、貧乏の腹いせに殴ってくる結婚相手の男についての書きぶりとは全く異なる。

 そしてまた、オースティンについて富山が言うような気遣いとも異質なものだろう。ここに描かれているのは殆どが無言で、あるいは言葉と裏腹に遂行されるケアの送り返しであって、それを林は自らの筆致によって剔抉する。

石田忠彦・大野達郎編『林芙美子 小品集』南日本新聞開発センター、2015年。
富山太佳夫『英文学への挑戦』岩波書店、2008年。(手元に本がなく、ページ数が分かりませんでした🙇)

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