劣等感と自己啓発の本、『愛と幻想のファシズム』(あとハーヴェイ)
加藤諦三『劣等感がなくなる方法』を読んで、スクショを上げたら村上龍の大ファンに「村上龍のエッセイですか?」と聞かれて、その後か間かに龍の『愛と幻想のファシズム』のファシズムを読んでいたらたしかに、と思った。
先に『劣等感が~』のことを言っておくと、これは別に心理学とか精神医学とか哲学とかの本ではなく(もちろんそういう体裁ではあるけど)自己啓発本であって、学術的なところはあんまりない(アドラーとかにそれを認めるならそうなのでしょうが)。とは言え個々の人々が生きていくために必要な強さとかやる気とかってのは必要なのであって、「だってできないんだもん」みたいなことを言っていても誰も助けてくれないわけ。「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」、はい。まあこの本、致命的にナウくないから今の若くて劣等感強い人は嫌いだと思うけど、このことをこれくらい直截に誰にでも分かるしかたで(徳理論とかを回らずに)言う人はそういないのではないか。
で『愛と幻想のファシズム』も一面では劣等感の話ですよね。そもそもの始めから持っているものが格段に違うものへの劣等感。そして強さについての話でもある。可傷性が大事ですよ、というところから、誰もが何かを言う”資格”を得るために少しでも弱く傷ついた場所から言おうとする、みたいな構造への批判も最近では随分聞かれるようになってきたけど、自分の全体が被害者だと感じることの誘惑というのはおそろしく激しい。
カリスマである主人公トウジはそういう弱さを嫌っている。甘えているからだ。そして彼の周囲には次々と天才的な技術者やらなんやらが集まってきて政府を転覆するくらいになるのだが、結局自分の信奉者たちを位置づけかねている。ものすごく単純化してしまえば、トウジの決断に同化しようとする、能力的には優れた人々は彼に救われようとしてそこにいるから。
カリスマがカリスマだし、最初の頃に合流する人殺しの山岸くんはすごい軍隊を作り上げるしこの人たちは全然失敗という失敗をしない。リアリティが、という言い方もありうるだろうけど、やっぱりこの話でなければ主題化できなかったことがあるな、と思う。
でこの小説、文庫本で上下巻で随分長いのだが、長いのは経済の話が半分ぐらい入ってるせいだ。経済とか資本主義とかっていう非常に大きなシステムのことをかなり丹念に書いてある。のだけれど、ひどい経済アレルギーで全然分からなくて流し読みした。同時進行で読書会のためにハーヴェイの『資本の〈謎〉』も少し読んだのだが、余りにも頭に入ってこなくて眠くてしょうがないので諦めた。もうちょっと分かりたいな……。
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