内堀弘『ボン書店の幻』

 うちには山中散生の第一詩集、『火串戯』の復刻版がある。函には塵入り和紙が貼られ、本文は耳付き和紙。赤紫の表紙にはフランス語表記の題字の白い紙が貼り付けられている。ツァラもエリュアールもこの詩集を紙のオブジェといって驚嘆したという。かように手の込んだ本を送り出したのが、日本のモダニズムと併走し、アマチュアリズムを貫いた小さな個人出版社、ボン書店だった。

 著者は古書店の店主。マニア垂涎の的でありながら詳しいことはほとんど知られていなかったボン書店の主、鳥羽茂に関する綿密な(執拗な、妄執的な、異様なまでに執念深い、と言ってもいいかもしれない)調査を行う。その徹底ぶりは、鳥羽を知っていそうな人物全員、果ては岡山県、大分県、熊本県、宮崎県に住む鳥羽姓の人すべてに(しれっと書いてあるが、「すべてに」である)問い合わせを行うほど。使われている資料も200部も刷られていないきわめて希少な鳥居昌三の個人誌『TRAP』から重要な情報が引かれていたりと、目を見はるものだ。

 このような調査の結果、生前の鳥羽を知る人物への聞き取りが叶い、少しずつ彼の人生の輪郭が見えてくる。1910年生まれの人物のことを90年代に調べるのだから、それは本当にギリギリのタイミングだった。採算を度外視し、費用を持ちだして自分の作りたい本を作る。内容に思い入れの強い本にはとりわけそうだったようで、即日発禁になったブルトンとエリュアールの訳書『童貞女受胎』を送られた訳者の山中はこのように手紙に記したという。

鳥羽様。予想外に装丁が素晴らしいので訳者も少なからずたぢたぢたらざるを得ません。特にA版の方は読むのが怖いほどの重圧をもつて迫ります。(中略原文)しかしB版の方の爽快なる容貌もまたひどく僕の気に入つてゐます。函、表紙、見返し、本文の組方、奥付にいたるまで、貴君の周到なる配慮、優秀なる技術を痛く感じます。刊行者と訳者との完全なる融合の精神が、今貴君と僕との間に静かに流れてゐます。有難たう。僕は衷心貴君に感謝します。(p.166-67)

 このとき、『童貞女受胎』とほとんど同じ材料から作られたのが当時無名の棟方志功が表紙を飾ったボン書店版の『大和し美し』(佐藤一英著)である。同じ材料で両極端のイメージの本を作り出す手腕に著者は賛辞を送っている。どうやら中学(旧制だが)時代から中古の印刷機を買って雑誌を作り、文通を通して各地の詩人と通じていたらしいことも分かってくる。

 健康さえ続けば、どこかから費用を捻出して精緻な造本を続けていたのかもしれないが、もともと病弱だった鳥羽は肺病で妻を失い、親の故郷であった九州に引き上げることになる。この本の最初の出版の時点では、それ以降のことは分からなかった。しかしそれがきっかけで、内堀は鳥羽茂の妹、そして息子と連絡を取ることができる。そうして彼が最晩年を過ごした場所を突き止め、一番最後に発表された短歌に出て来る言葉が、そのごくごく近所に住まう人にしか知られていない地名(というよりも、少しばかり目立つ場所の渾名といったほうがいい)であったことが明らかになる。

 奥付に書かれた住所と名前、そして何人かの詩人の断片的な、誤りの多い言及からここまでのことが調べられてしまうことに「たぢたぢ」とせざるを得ない。これは決してパラダイムシフトを引き起こすような研究ではないだろう。しかし文学史が書籍の刊行者と切っても切り離せない関係にあることをこれほど克明に仕事はない。

内堀弘『ボン書店の幻 モダニズム出版社の光と影』ちくま文庫、2008年。

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