#3 地域社会を豊かにする
「豊かさ」とは何か、そう聞かれたとき皆さんならどう答えるだろうか。もし、「豊かさ」をお金や利益といった経済的な側面のみで捉えるとすると、地方は東京などの都市部に比べて未成熟な部分が多いだろう。しかし、笑顔でいきいきと暮らせること、多様性を認め合えること、ともに助け合える人間関係があることなど、経済的な側面だけでは捉えきれない様々な「豊かさ」が世の中には存在している。
今回はそんな「豊かさ」を改めて考える機会として、株式会社DEPOT(デポ)代表取締役の宮川史織氏をゲストスピーカーとしてお招きし、地元企業の魅力発見サロンを開催した。
地方の「豊かさ」
日本における人口移動の流れは、コロナ禍を経て東京一極集中から少しずつ脱却しつつあるものの、未だ若年層を中心とした地方からの人口流出は続いている。そんな地方には、人々が求めるような「豊かさ」は存在しないのだろうか?
ゲストスピーカーの宮川氏が、地元の山梨で就職することを考えていたときに、相談した山梨の大人たちから言われた言葉だそうだ。山梨では、デザインをはじめとするクリエイティブなことは学べないから、東京でキャリアを積んで、Uターンするのがセオリーらしい。京都の大学に進学した宮川氏は、大学で学んだ建築やクリエイティブの力で山梨を良くしていけないかと考え、地元で就職することを決意したが、この言葉を言われたときには寂しい気持ちになったという。
「誰かがやらなければ地域は衰退していくという想いから、東京に出ろという言葉を振り切って山梨に戻った。今となっては言われた言葉の意図も分かるが、その言葉が繰り返されることのないよう山梨に多くの選択肢を作ることの必要性も強く感じている。」
地方に住んでいると、つい事あるごとに東京のような都市部と比べてしまうことが多く、東京ではこんなものがある、こんなことができるのに、地方には何もないと考えてしまいがちだ。確かに、いわゆるヒト・モノ・カネの単純な総量だけで見ると到底東京には及ばないのは誰がみても明白だろう。宮川氏が言われた言葉も1つの事実であり、業界によっては経験を積むための選択肢が地方にほとんどないこともある。しかし、そのままにしていても地方は衰退していくばかりであり、現実を受け入れながらも、あえて地方で働くという新たな選択肢が選ばれることを目指すことも必要である。
「地域の企業のブランディングに必要なのは、都会的なかっこよさとかイケてるものを作ることではなく、多くの人に長く愛されるために、そこにしかない価値を見つけること。そしてその価値を、誰にどう伝えるのかを一緒に考えるのがデポの仕事です。」
デポが目指すブランディングのあり方のように、地域にとって今必要なのは、東京にあって地方にないものばかりに目を向けることではなく、東京にはなくても地方にはある「豊かさ」が見えるように視点を変えてみることではないだろうか。
「豊かさ」を探求する
では、「豊かさ」とは何か?
冒頭の問いをサロン参加者の皆さんにも聞いてみたところ、下の写真のように非常に多様な答えが返ってきた。
「豊かさ」という言葉は、とても抽象的であるが故にその捉え方も人によって多様であり、明確な答えがあるわけではない。しかし、多様な「豊かさ」の中に、地方を豊かにするためのヒントがあるかもしれない。
そんなヒントを探す取り組みとして、デポは甲府の中心街から地域における新たな「豊かさ」を考えるために、今回のサロンの会場でもあるシェアスペース「TO-CHI(トーチ)」を甲府の銀座通り商店街にある老舗の本屋、春光堂書店と共同出資・共同運営という形で開業した。
新たにシェアスペースを事業としていくこととなったきっかけは、宮川氏の妊娠・出産だという。ブランディングやデザインといった専門性・属人性の高い業務を行っているデポでは、メンバーが1人でも欠けると事業に大きな影響が出るという状況にあった。そんな中で、会社の中心であり、プランナーなどを担っていた宮川氏の妊娠・出産を機に事業がストップしてしまうという事態に陥ってしまう。そこで、今のビジネスモデルから脱却しなければならないという考えに至ったのだ。
では、なぜシェアスペースなのか?その原点としてあるのは、デポが使っていた最初の事務所だ。当時の事務所はテナントの空き店舗をDIYで改装したもので、社員だけでなく社外の人にも使ってもらっており、フリーランスの方向けのワークスペースや地域の会社の研修、作家の個展などが行われ、自然と人が集まる場所になっていたそうだ。その事務所はコロナ禍を機に引き払ってしまったそうだが、空き店舗だらけだったテナントに今では色んな会社やお店が入っているという。それがデポの事務所の影響なのかは定かではないが、もしかしたら、そんなちょっとした何かのきっかけでまちは良くなっていくのでは、と感じたそうだ。また、立ち上げにかかわった別のシェアスペースでは、地域の事業者と一緒に場を作り上げることの価値も感じたという。
「ただ利益を求めるだけであれば色々なやり方がある中で、新たなビジネスモデルを考えるときに思ったのは、『お金』と『豊かさ』は必ずしも連動しないということ。シェアスペース事業は決して大きい利益が得られるビジネスではないが、多様なものが混ざり合う『豊かさ』を私は感じている。」
今までの経験をもとに、今回の新たなシェアスペースも、地域の多様な人が集まることにより生まれるつながりや価値の可能性を育てるために、多様な人々がつながることができる場所を提供しつつ、地域の人々と一緒に様々な「豊かさ」について考えていこうとしている。
また、今まではB to B(Business to Business、企業間での取引)の間接的な仕事がメインだったデポだが、シェアスペースを運営するにあたり、直接お客様と向き合うことで、喜びや難しさを実際に体験でき、それによって、ブランディングにおいてもよりリアリティのある提案ができるようになるなど、新たな事業が既存の事業にも良い影響を与える好循環が生まれているという。
「社会を豊かにするためには、まず地域に住む一人ひとりが豊かになることがスタート。そこから、地域の事業者、まちが豊かになり、豊かなまちが増えれば社会が豊かになる。そして社会の豊かさが、また個人の豊かさに循環する。そんな豊かさについて地域の皆さんと一緒に探求していきたい。」と宮川氏は語る。
山梨をはじめとする地方は、都市部に比べると圧倒的に人は少ない。しかし、少ない中にも都市部と同じくらい多様な人々がいて、それぞれが持つ価値観があり、それぞれが考える多様な「豊かさ」が存在している。それらがつながり、掛け合わさることで、社会を豊かにするアクションが生まれるきっかけとなるはずだ。
「豊かさ」の気づき方
最後に、サロンの参加者の方からいただいた感想で、印象的だったものがある。
私たちが当たり前だと考えていることから、視点を変えてみることの大事さに、改めて気づかされたような感想であった。地方の人たちこそ、まずは自分のまちを歩いてみるのが、「豊かさ」への第一歩なのかもしれない。
編集後記
「豊かさ」という、とても抽象的で難しいテーマではあったが、その分、参加者としても考えを深められ、自分自身の「豊かさ」と向き合うことができたのではないだろうか。
今回のものさしを考えるとすれば、それは「豊かさ」となるだろうが、先に述べたようにそれはとても多様であり、1つに定義できるものではない。むしろ1つに定義する必要はなく、地方に住む私たち一人ひとりが、それぞれが考える「豊かさ」というものさしを持つことが大切だと考えさせられる機会であった。
また、経営という面についても少し考えてみると、デポが新たに始めたシェアスペース「TO-CHI」は、ギフトショップが併設されているものの、明確なプロダクトやサービスがあるわけではなく、一見すればただ場を提供するというビジネスモデルである。しかし、宮川氏の話を聞いたうえで考えると、場を提供することは手段であり、その場を通じて新たなつながりを得たり、「豊かさ」というものさしを考えるきっかけを提供するというのが本質的なビジネスモデルではないかと感じた。今までは、クライアントが持つ「豊かさ」を表現することがメインだったデポが、自ら「豊かさ」を見出してもらうための活動をするに至ったということである。これは今までにない新たなチャレンジで、まだ始まったばかりだが、試行錯誤を繰り返していくことで、地域における新たな一つのビジネスモデルが見えてくるかもしれない。
次回の地元企業の魅力発見サロンは9月26日。
ゲストは(株)プロヴィンチア 古屋 浩 氏。
詳細は山梨総合研究所HP(https://www.yafo.or.jp/)まで。
(執筆:山梨総合研究所 主任研究員 清水洋介)