私ではなく、私のようなものとして一日
コロナの影響の中、人生初のリモートインタビューを行った。8月号の記事だったから、もはや一ヶ月前。相当怠けなものだとは思うが、家での生活が続くと曜日感覚が失われて行く。インタビューとは言え、相手はZOOMの中、スクリンの向こう。でも、お互い違う場所で喋り合う言葉が、少し暖かく思った。会えない時期なのだが、インタビューはできるん、あまり支障がないことがありがたく思い、少し寂しくも感じた。
そもそも私がしている仕事って、何かを介して行われるもので、結局ある程度の距離を残したまま終わっちゃうものかも知らない。永遠に辿り着けないまま終わる物語。取材に応じてくださったのはD&Dのナガオカケンメイさんだったのだが、ナガオカさんは7月オープン予定のd-jejuについて、”これからはホテルではなく、ホテルのようなものだとおっしゃった。かなり緊張してた取材だったけれど、インタビューではなく、インタビューのようなものが、いつの間にか終わっていた。
私は、あえて言えば決して社会的ではない人で、今まで記者、エディターとしてやって来たことが、私としてもたまに信じられなくなる時がある。人見知りで、無口で、知らない人といると親しくなるまで、だいぶ時間がかかっちゃう。なのに、人に会って、話をし、その人のことを随分分かってるような記事を何百回、何千回も書いたりした。一冊の雑誌を作るとすると、少なくても十数人の人に取材のオファーをし、その中何人かの人にお話を聞き、記事を書く。そのたび知る人は増えては行くのだが、結局仕事で結ばれた時間限定の関係。終わりに気づくことも出来ず、次々と人に会って来た。今更だけど、それは、あまり長くかった。
この前、お笑い芸人のシソンヌの長谷川さんは、ある受賞の後、’嬉しいですけど、いつも’一回きり’でしたと、笑いながらおっしゃった。一回きり、儚いその言葉が私はなぜか寂しく、綺麗に聞こえた。一回きりの喜びを淡々と受け入れて生きてる姿が、やはりグランプリだと思った。私は、いわば人との間で数多くの’一回きり’を持って来た人なのだが、それは言い換えれば、私ではなく、私のようなものがやって来たことかも知らない。人と会うと別れるときに、言い切れなかったことが常にあったし、未練や後悔はいつも付き物だった。私ではなく、私のようなもので、余ってしまった私。今じゃなく、’次’があると言い聞かせ、自分を安心させた私。でも、’次’という言葉ほど曖昧で無力なものはこの世の中ないはずなのに。
コロナのせいで初めて経験したリモート取材は、技術ってすごいなという、すごく単純な驚きと、仕事をして来た私の10年余りは、私ではなく、私のようなものとして接して来たことなんだという、すごくショックな疑問、その二つだった。ある意味少し虚無さも感じたのだが、割と気持ちはスッキリされた気がした。少し距離を置いて、私から距離を持つことで、未練や後悔は、可能性やポテンシャルに見え、かなり消極的な私としては、希望な発見であった。
私って私ではなく、私のようなものとしての30年。まだ始まってもないのだと。
「あの人たちのようになりたいな」とあっても、なり方がよくわからないし、漠然と「売れたい」と思っても売れ方がよくわからないですし。「じゃあ、いっか」みたいな(笑)。これで仕事がゼロとかだったらヤバいとは思いますけど。ー長谷川忍
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