世界は敏感な人間にとって生きづらい
泥のように10時間こんこんと眠り続けた後、友人から夜中に着信があったことに気づいた。
「ごめん寝てた!」と返信するが返事は来ない。
「今日は暇だから電話したい!できる?」と付け足し連絡を待ってみる。
しかし当分返事は来なかった。
夜になり急に電話がかかってきた。
私は「もしもし!どうした!なんかあった?暇電?」
「昨日電話出れなくてごめんね」と伝えた。
すると友人は泣き出した。
私はとても驚いた。
まさか泣いているとは思わなかったから。
理由を聞くと、不慣れなアルバイトでつらい思いをしていた。自分の不甲斐なさに自己嫌悪。
自分の行動や言動により周りの機嫌を損ねてしまったことにダメージを受けていた。
私の目から見ると友人はとても真面目で人当たりが良く、優しい。またユーモアな一面も持ち合わせていてとても素敵で大好きな人物だ。
しかし繊細なのである。
周りの人の顔色を伺い、少し自分が我慢すれば物事が上手くいくなら自己犠牲してしまうようなタイプ。
よく見ていて、気付くからこそ気遣いができたり
先回りして対処することができるのかもしれないが、
それと引き換えに心を疲弊させてしまうのなら繊細さはこの世で生きるには確実に不必要なものであろう。
小説家やアーティストなど創造的で独創的なことを生業にできるならこの気質は役に立つ。
しかしそれ以外の職に就き、多くの人と関わりを持ちながら生きていかなければいけないこの社会では鈍感で、
自分を責めるのではなく他人を責められるような人間の方が幸せに生きていけるのだろう。
「自分はなぜ人と同じように頑張れないのか」
「自分はなぜ些細な言葉に傷ついてしまうのか」
「自分はなぜ他人の目ばかり気にしてしまうのか」
そんな思いを抱きながら、周りにはそう悟られないように心の悲鳴を押し込めながら今日も生き耐えている人が沢山いる。
少しのひずみがいつか大きな亀裂に変わり、
後戻りできなくなると思うと自分の言葉や行動が誰かを傷つかているのではないかと怖くなった。
それと同時に何者でもない私が
「あなたはもうがんばってるよ」
「つらかったね」
「大変だったね」
「何もなくても話聞くからね」
「私はあなたの味方だから」
と声をかけてあげるだけで救われる心があるのだろう。
繊細なあなたが、
よく周りを見ているあなたが
誰かを気にかけてあげることが
世界で生きづらさを感じている人を
生きやすくすることができる唯一の人なのだと思う。
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