『ゲバルトの杜~彼は早稲田で死んだ~』interview(part2)劇パートを演出した鴻上尚史さんに話をきいた
(part1よりつづく)
「……言ってみれば、ぼくが川口に部落差別や狭山事件のことを伝えたことで、彼が中核と関わるような縁を作ったっていうことはずっとぼくも感じててね、やっばりその責任っていうかな、ぼくがもし彼にそういう風に呼びかけなかったら、彼はああいうことにならなかったんじゃないかなっていう思いはずっとあるんですよ」
苦渋の表情で語るのは、1971年、早稲田大学第一文学部に入学、川口大三郎さんのクラスメイトだった藤野豊さんだ。のちに日本近代史の研究者となる。
5/25~渋谷・ユーロスペースほかで公開となるドキュメンタリー映画『ゲバルトの杜 ~彼は早稲田で死んだ』の一コマで、藤野さんの話に出てくる「ああいうこと」は1972年に起きた「川口大三郎事件」をさす。
証言は、70年代初頭にひとりの学生が学生運動に参加するきっかけとその様子を伝えるもので、映画を観終わったあともとくに印象に残るものだった。
藤野さんの話に、部落問題じたいを知らなかった川口さんは驚き「そんな差別があるのは許せん」と怒った。これをきっかけにクラスから狭山の裁判闘争に参加するメンバーも増えていったという。
当時中核派は組織をあげて狭山闘争に取り組んでいた。川口さんが狭山の集会に参加する姿が目撃されていたことから、革マル派には「中核派の人間」に見えたのだろう。
革マル派の学生によって自治会室に監禁された川口さんは数時間にわたり暴行を受けたすえに死亡。遺体は深夜、本郷の東大附属病院前に遺棄された。
この事件を機に学内で革マル派への抗議の声があがるものの、新左翼セクト間の激しい「内ゲバ」時代へと突き進む分岐点となった。
半世紀後のいまようやくカメラの前で「いったい何があったのか?」当事者たちが語りはじめた。
監督は『三里塚のイカロス』『きみが死んだあとで』など60年代末からの学生運動体験者たちのインタビューを記撮し続けている代島治彦。原案は当時渦中にいた樋田毅著『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文春文庫・第53回大宅ノンフィクション賞)。
本作は代島監督の、当事者の証言を紡ぐ口承ドキュメンタリースタイルは同じながら、前三作とは一点異なるところがある。劇パートが組み込まれていることだ。
「事件の一日」の短編劇を脚本・演出した鴻上尚史さんに、この映画にかかわることになった経緯、演出意図をきいた。
話すひと=鴻上尚史さん
構成・文🌖朝山実
インタビューしたのは4月のこと。鴻上尚史さんには週刊文春の「家の履歴書」の取材であったのが最初で、『不死身の特攻兵』『愛媛県新居浜市上原一丁目三番地』などの著作に関して幾度かインタビューさせてもらってきた。
この日は映画の宣伝のために設定されたマスコミ取材日で、一日メディアの人が入れ替わり立ち代わり取材する。通常カメラマンや編集者が立ち会うことが多いのだけど、ひとりきりのわたしに、
「きょうは、どこの媒体?」
開口一番にきかれ、
noteというワタシの媒体です。とこたえるや、
「アハハハ。おれもねえ、やろうかと思ったんだけどねえ」
快活に笑われてホッとする。
やろうと思いながらやらずにいる理由を聞いたりするうち、マスコミでなくてゴメンなさいというヒケメがとれた。ありがたい。
“何で、ふつうの若者たちがこんなことに陥ってしまったのか。そこを描きたいと思ったんですね”
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脱落せずお読みいただき、ありがとうございます。 媒体を持たないフリーランス。次の取材のエネルギーとさせていただきます。