2011年3月11日・・・2021年3月11日
10年前
10年前の今日、
私はいつものように会社で仕事をしていた。
3DCADでCAEの解析を回し始めた時だった。
あれ・・あれ・・・あれれれ・・・・
揺れてる。
まだ揺れてる。
おいおいまだ揺れてるぞ。
これはほんまやばいわ、その場に居た40名が、
皆そう思った。
逃げる準備をしている人も居た。
防災訓練なんてあてにならない。
判断は常に自分だと思った瞬間でもあった。
揺れが収まり、
何が起きているのか確認するため。
PCをユースへ切り替えた。
そこには、車が水に浮いている映像が映っていた。
津波や・・・
ほんまやばいと思った。
次々にニュースでは津波の映像が流れた。
何が起きたのか半分パニックになった。
家ではインフルエンザで寝込んでいる家族がいた。
後の笑い話だが、「全然揺れてるの気が付かなかった」
おいおい・・・
友人
宮城・岩手・福島の友人は、
Facebookで安否確認をした。
時間はかかったが、みな無事だった。
ただ、家を失った友人も居た。
何もできない自分に苛立ちと、
虚しさが沸き上がってきた。
3年間の復興支援
私達はスコップを持って現地に行けない。
体力自慢ではないので、きっと足手まといになる。
そう友人たちと話をした。
その年の10月、
私達は少しでも現地にお金が落ちるように、
来るまで現地へ向かった。
ガイガーカウンターを持って
現地では友人たちと久しぶりの再会をし
そして、壮絶な出来事を沢山聞いた。
結局朝まで飲み明かして。
私達なりの復興支援3年間は始まった。
東北に行くにあたり、それぞれが避難グッズを持ち
ルールを決めた。
もし、また、同じ事が起きたら、
仲間たちの心配より、自分の命を優先する。
これが私達のルールだった。
それから毎年、お金を使いに、
岩手・宮城・福島を訪れた。
しかし、
3年間では復興支援が進んでいない様子が、
うかがえた。
お金・政治・資材・マンパワー
10年経っても元には戻らない。
いわば10年以上の歴史を削り取るだけの
エネルギーが地震にはあり。
一度発動されると、一瞬で10年を消し去る程の
パワーがある事も知った。
ただ・・
10年経って、小人19が猛威を振るい、
越県行動が自粛される中、叶わぬ行動とは知りながら、
もう一度、閖上地区、大槌町、陸前高田、気仙沼等々、
訪れて、あの時感じた想い。自分自身の10年を、
振返ってみたいと思っている。
本日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。
皆様に感謝いたします。
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