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うつのひとへ82 本屋へ行く

おはようございます。
昨日は疲れが残っててぐったりモードでしたが、本日は朝から結構元気です。

昨日大好きな丸善に行って本を買ってきました。

鳥原隆志「一生使える「段取り」の教科書」(大和出版)
森分大輔「ハンナ・アーレント」(ちくま新書)

です。

坂口恭平さんの、「中学生のためのテストの段取り講座」を読んだ影響もあるのですが、仕事をやっていく上で、段取りの能力は大切だなあと最近改めて感じています。
大学時代とか、研究室で実験するときは、段取りがほぼほぼ全てというか、最初にプランを練って決めたら、あとはロボットのようにそれに従えばOKという状態でやるのが正しいとされていました。

ただ、今製造業に浸かって5年経ちましたけど、製造業の人たちは基本あんまり段取り組まないんですね。製造業の人たち全員がそうじゃないかもですね。
正しくはうちの会社の人たちの傾向です。
行き当たりばったりやなあ、と毎日感じてきましたけど、気付けば自分も結構そちら側の人間になってきているなあと最近思いました。
それが悪いことばっかりじゃあないとは思うんですよ。
頭で考えるより、動いた方が早かったり、実際機械動かして、加工して結果を見ないことにはなんとも言えないことがたくさんあるのは事実です。
ただ、なんか明らかにプラン立ててからの方がいいだろってことも行き当たりばったりでやりよる感じが自分は嫌でですね。
そういう人間にはなりたくないなー、段取りも組めて、いざという時には段取り無視して突っ込めるみたいな柔軟な人間になりたいなあと思いまして、それで前述の本を買ってみました。

鳥原さんのビジネス本は結構好きで、役所で働いてた時、よく県立図書館で借りて読んでいました。
自分で優先順位決める感覚を取り戻したいなあと思いまして、久しぶりに購入しました。

ハンナ・アーレントに関しては、こないだ県立図書館で借りた青木真兵「手作りのアジール」の中に登場しました。
しごとを「制作」(work)、「労働」(labor)、「活動」(activity)に分けて考えることを提唱した、というようなことが書かれていてとても興味を持っていました。

昨日読み始めたところですが、現実と向き合うことなく抽象的観念の世界に立てこもってしまう態度を「世界疎外」(world alienation)と読んで批判したり、「世界疎外」の克服には経験に向き合う姿勢が不可欠で、そのためには他者との関係性や対話の経験が重要で、隣人への関心が不可欠であると述べるなど、なんとも今の自分の会社や社会へのふわふわした疑念にピッタンコな内容でした。
読み進めるのが楽しみです。

自分は上述のように、本に助けを求める癖があるなあと思います。
もしかしたら、現実逃避しているだけなのかもなあとも思います。
ただ、以前よりは現実と自分の内部世界とのバランスが取れてきている気がします。

それはやっぱ、他者、隣人ともある程度覚悟を決めて付き合うってことが、徐々にできるようになってきたからなのかなあと思います。
今も全然苦手ですけどね。
苦手ですけど、苦手なんですけど苦手なりに誠意を持って人付き合いしますよ、それなりに自分から話しかけたりしてみますよ、ってことです。

最近思うんですけど、もしかしたら、今の職場入りたての頃の自分のように、バカと感じる人は切り捨てて、自分の得意なことだけに集中してただそれを伸ばす、みたいな方が、お金は稼げるのかもしれません。
ビジネス書にもそんな感じのことが書いてあるものをよく見かけます。

でも、そういう人間になりたいなあって素朴にどうにも思えないみたいなんですよね。自分は。
お金経済はまわるんだと思いますけど、それで楽しいのかい、幸せかい、ってことです。

自分は、会社の、仕事っていうちっこいものを回すことに注力するあまりその周辺の面白いものとか柔らかいものとか優しいものとかを蔑ろにしたくないんですね。
あまちゃんなんですかね。
バリバリ仕事できてないことへの言い訳なのかもしれないですけど、なんか自分は普通の、非躁鬱人が見えてない領域も全部ひっくるめてしごととしてまわしていきたいなあ、って気持ちが最近は強くあります。
言語化が難しいんですけど、それは多分誠意とか優しさとかに繋がる何かですね。

買った本の紹介をするつもりがなんか熱くなってよくわからないところまできてしまいました。伝わるのかな、これは。少しでも伝われば嬉しいです。

少し疲れたのでここらで一休みします。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
皆さんも自分と共にぼちぼち休み休み楽しいことを積み重ねて行きましょう。


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