いいじゃないか、時には逃げたって
皆さま、お疲れさまでございます。ものぐさめがねです。
まずはじめに、お礼から述べさせてください。
目に留めて立ち寄ってくださった皆さま、ありがとうございます。
前回の初投稿を読んでくださった皆さま、重ねてありがとうございます。
更に、スキをくださった皆さまに、最大級のありがとうございますを送ります。
更に更に、フォローまでしてくださったお方、なんとお礼を述べていいのか
もう分からないのですが、とにかくとても嬉しかったです。
心からの感謝が伝わりますように。
(あなたに2回目のこの投稿も届いているといいんですが…)
さてさて、今日は何を書き連ねようかと、暫く思案しておりましたが
私が皆さまにお話しできることなど限られておりますので、大したことは無く
自分自身のことか、自分の好きなことぐらいで、何だか毎回「自分、自分」の話になりそうだと思ったんですが、本日もくだらない私事の駄文にお付き合いくださると幸いでございます。
もうすぐ4月ですね。
3月で区切りがついて、4月からは新たな生活が始まる方々が多い季節かなと思います。新生活にあれこれ想いを巡らせて、胸を躍らせている方も、心配事がつきない方もいらっしゃると思います。
今日お話しさせていただきます事は、こんな人もいるんだ、こんな風でも生きていけてるんだと、頭の隅にでも置いておいていただけたらうれしいです。
私の経験をもとに、お伝えしたいことを書きたいと思い、本日も指を躍らせキーボードを打たせていただきます。
さて、私はプロフィールにもありますとおりアラフォーですので、会社で仕事をして生活をしています。いわゆる社会人ですね。
ついでにさらっと付け足ししますと、おひとりさまの一人暮らしとなりますので、稼いだお金で今の自分と未来の自分を支えていかなくてはいけません。
(未来の私を一緒に支えてくださる方といつか出会えたら、それはそれは素敵なことだと思いますが、ご存知でしたか?私の年齢になりますと、そういった方と出会うより、弁護士になる確率のほうが高いんだそうですよ)
脱線しましたね、戻ります。
学生生活を終えて社会人デビューしてから、今の会社は5社目になります。
そう、何度か転職をしており、仕事内容も変わっています。
自分自身で転職を選択したことのほうが多いですが、会社都合により転職を余儀なくされたことも、両方の経験があります。
また、パート・派遣社員・正社員と様々な雇用形態も経験させていただきました。
恐らく同年代の方なら苦い思い出となっていると思いますが、私が就活をしていた時期というのは、「就職氷河期」と呼ばれる時代でした。
私は、服飾系の高校を卒業後に、これまた服飾系の専門学校へ2年通いまして、いざ就活!というときに大変ぼんやりと過ごしていましたので、気が付けばかなり出遅れており、アパレル会社への就職はとても厳しい状況になっていました。
学校での就職相談や会社の紹介等はもう頼れなかったので、最終的に自分で見つけてきた宝石会社に何とか決まりました。
決まったといっても、正社員ではなく契約社員、つまりパート扱いですね。
とにかく働き口を見つけたかった私は、今まで勉強してきた服飾系でもなんでもない宝石会社の、しかも、こういっては失礼千万ですが…、デザインするでもなく、商品の買い付けに行くでもなく、ただただ新商品を各店舗へ振り分けたり、売れてない在庫を売れている店舗へ移動指示を出すなどの事務的な業務内容の商品管理の部門に、パートとして働いていくことを決めたのでございました。
一体、今まで勉強してきたことは何だったのか…。
ぎりぎり大きな目で見て、ファッション業界と言えるであろうか…。
しかしながら、業務内容からはファッション業界とは言い切れないのではないか…。
でも、とりあえず仕事先が決まった!それだけでも良いじゃないか…。
この会社だって、契約社員の募集にも関わらず、たくさんの応募があって、しかも採用枠1枠を私は勝ち取れたんだよ。
そうだよ、仕事が見つかっただけでも良かったんだよ。
この会社を逃したら、もうプー太郎じゃないか…。と藁をもすがる気持ちで入社することを決めました。
当時の私はそんな風に考えていたのでした。
私の社会人生活は、そんな幕開けでした。
新生活にワクワクする気持ちもなく、妥協して決めた仕事…。どちらかと言うとネガティブな気持ちで迎えたスタートでした。
ここで、まずお伝えしたいことは
当時の私のように就職を決めた方、中にはいらっしゃると思います。
本当にやりたかった内容ではないのに…、または、正社員でもないのに…、と。
それでもいいと私は思います。
やりたかった内容とは違うかもしれません。
が、実際に働いてみるとあなた自身の隠れた才能の芽が出るかもしれません。
もしくは、働いてみたら思っていたより楽しいかもしれません。
もしかしたら、その会社で新たなやりたい仕事が見つかるかもしれません。
始まりが正社員でなくても、頑張っていると周りから評価されます。
会社に必要な人材と認識されれば、正社員の話も出てくるでしょう。
人材を確保するということは、実はそう容易いことではないからです。
自社に優秀な人材がいると知れば、離職されないようにと会社は確保したがるはずです。
そうなると、あなたを留めるためにより良い条件を提示してくるのです。
実際の私も、自分でいうのもお恥ずかしい限りですが、意外と優秀でした!
思いの外、仕事が出来ました。商品管理部門の中でも大きく2グループあり、業務内容も違っていたのですが、気が付けば入社して数週間も経たないうちに、なぜか私だけ両グループに所属し、両グループの仕事をこなしていました。
その日の仕事が完了しないと帰れない業務内容でしたので、もちろん残業もそこそこにありましたし、採用枠1枠だったこともあり私が会社で1番ペーペーでした。
この年の正社員採用はありませんでしたので、同期もおらず全員年上で、全員先輩でした。
ふふふ、雲行きが怪しくなってきた気がしましたか?
ここまで読んで、お気づきになった方もいらっしゃるかもしれませんね。
私の自尊心を保つために、これは言わせていただきたいのですが、私が仕事が出来たことは事実だったと思っています。
今思えば、むしろ、もっとのろまで仕事ができないやつでいた方が賢かったのかもしれないですね。
私はパートの安いお給料でいいように使われ、仕事が終わるまで帰れない、周りは全員年上の先輩で、ちょっとした愚痴の一つも言えない…。
様々な要因から、常に緊張感が張りつめておりました。
今じゃ考えられないかもしれないですが、私が使ったあとの固定電話を私の目の前で、除菌シートを取り出し、これ見よがしに拭き始めた先輩もいましたねぇ。
こういうのって今の時代だと何て言うんでしたっけ?パワハラ?モラハラ?
当時は、「ハラスメント」なんてお言葉すらなかった時代だからなぁ。
まぁ、今までのんびりぼんやりと生きていた私は、人様からこれほどの嫌味を向けられた事はなかったので、当時はとても驚いたし、私はバイ菌と同じなの?とショックを受けました。
書いていて思いましたが、逆にこの先輩はコロナ時代の先取りですね。ある意味、最先端だな~。なぁんて、今の私なら水のごとく受け流せます。
でも、社会に出たばっかりのぽやんぽやんしてる当時の私には、とてもそんな風には受け流すことは出来ませんでした。
ところで、この先輩はなぜ私に敵意をお見せになられるのでしょうか。
なんと私は、この先輩から嫌われていたようでした。
1つ上の先輩(といっても確か年齢は2~3つ上でした)が教えてくれたんですが、私は残業をしたくないのでさっさと仕事を片付けようとするのですが、除菌シート拭き拭き先輩としては、いかに長く残業をして残業代を貰うかがご自身の中で最重要だったそうです。
つまり私は除菌シート拭き拭き先輩の真逆を行く存在であり、最大の妨害者であったのですね。
除菌シート拭き拭きが、1番わかりやすいお嫌味でしたので書かせていただきましたが、他にも色々とありました。
ちなみに、この除菌シート拭き拭き先輩を含めまして、商品管理部門だけでも圧倒的な存在感をお放しになるお局様的な方が3名ほどいらっしゃいまして、目をつけられない方がいいよとコッソリ教えて貰ったときは、残念ながら既に時遅しだったようです…。
(何で会社って、お局様がいるんでしょうか。会社の不思議の1つですね。)
気が付けば、毎日残業していて、いつも朝方お腹が痛かったり、頭が痛い。
会社にきてからも、ずっとどこかしらが調子が悪い。何だかイライラしやすくもなって、私は鎮痛剤や頭痛薬や腹痛の薬(下痢止めも便秘の薬も)、イライラを抑える薬として小林製薬から発売された、その名も「イララック」や、とにかく様々な薬を持ち歩いて、常に何かしらの薬を服用(或いは併用)していました。
出勤時は、会社の最寄駅で降りずにこのままどこかへ行ってしまいたいと思うようになり、地震がきたり何か災害が起こって会社に行かなくてもよくならないかなと不謹慎なことを考えるようになっていました。
ある時、ホームで帰りの電車を待っていたら、ふと思ってしまったんですよね。
あ、会社に行けないような大怪我をしたらいいんじゃないのか。
線路に飛び込んだら怪我できるなぁ、ってね。
決して死にたかった訳じゃなかったんですよ。下手したら死んじゃうのに、そこまで頭が回っていなかったのです。
会社や仕事がつらいという理由で逃げたらいけないと思い込んでいた私は、堂々と会社にいけませんと言える口実が欲しかったのです。
誰もが認める会社に行かなくても良い理由が欲しかったのです。
でもその時に、我に返ったというか、んん?って思ったから、今私はこうして元気でいます。
おかしくないか、なんで私はこんなにつらい?逃げたらだめなのか?
こんなにつらいのに?この状態がずっと続いていくのは、もう耐えられんんんんん!!!と、私の停滞していた活力みたいなのが、湧いてきたんですよ。
そこからの行動は早かったです。
会社に辞める意思を伝えて、あ、その時に直属の上司に言われた言葉がありますよ。
「あなたを採用したから、何十人もの人が仕事に就けなかったんですよ。だからあなたはその人たちのためにも、この仕事を続けなければいけない」って言われたんですよね。
いやいや、どんな論理よ!?知らんがな!って、正直思いましたねぇ。
そりゃ確かに、採用枠1枠に対して私を採用したのだから、その他の方々は入社することが出来なかったのは事実ですが、他の会社で就職してるかもしれないし、例えそうでなくとも私がこの会社で働き続けないといけない理由にはなりません。
所属していた課で、送別会するって言ってくださったけど、除菌シート拭き拭き先輩もいましたし、働き続けろと謎の論理で責めてくる上司もいましたし、送別会は丁重にお断りをしたのですが、有りがたいことに何度もお誘いを受けまして、何度もお断りするのも気が引けた私は結局、送別ランチ会に行った思い出があります。確か中華だったなぁ。
そう、私の社会人生活のスタートは、このような感じで約半年で終わりを迎えました。
これが、私の1社目でした。
今思い返せば、私が未熟だった部分ももちろんあります。
もう少し頑張れたんじゃないかって、今でも思う時があります。
でも、今でこそ私が思うのは、半年で辞めなくともいつかは辞めていたということ。どう転んでも、私はあそこにずっとはいなかった。それだけは、はっきりと分かっています。
最後になりましたが、1番大事なことをお伝えします。
努力した結果、頑張ってみた結果、それでも嫌だと思ったら、自分に合わないと思ったら、逃げたっていいと私は思います。
過大なストレスを抱えながら嫌々続けて、心身の健康を損なうくらいなら、逃げたっていい。
努力や頑張りは必要ですよ。でも頑張り続けて疲れてしまったとき、ふと思い出してください。
世界は広いです。今いる場所だけが、あなたの世界ではないです。
自分が自分でいられる場所が、どこかにあるはずです。
その場所を探すことが、もしかしたら人生なのかもしれないですね。
嫌な出来事や思い出って、実は楽しかった思い出よりも深く覚えているもんなんだなぁ。
文章にしていたら、こんなに長くなりました。笑えてくるなぁ。
ここまで、読んでくださっている方いるかしら???
読んでくださった方、本当にありがとうございます。
1社目で、こんなに長くなるとは自分でも思いもしなかったです。
2社目以降は、また今度にしますね。
興味ある方いるかな?まぁ、興味ある方がいるにしても、いないにしても、このnoteは、私の駄文を書き連ねる場所なので、書いちゃいますけどね。
また付き合ってもいいよって方や、2社目以降気になります!っていうご親切な方、もしよかったらスキを押してってくださいな。
ここまでちゃーんと読みましたよ!って方も、どうぞスキを押してってくださいな。
あ、そんなあなたに、もう1回言わせてくださいね。
こんなに長い駄文を最後まで読んでくれて、ありがとう。
それでは、また。
またお会いできたらとってもうれしいです。
ものぐさめがね lo_ol
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