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今日も生きててえらい?ハンナ・アレント「人間の条件」を読んだ感想

本日は「今日も生きててえらい??」というテーマでハンナ・アレントの「人間の条件を読んだ感想」についてシェアします。

まず初めに、ニーチェが「人間の最も強力な力は価値を評価することだ」と言っていたような気がしますが、本書についてざっくり説明すると、その価値評価のヒエラルキー、つまり「価値の優先順位が時代ごとについてどう移り変わったのか?」を「活動力」の観点から分析したものです。

では、活動力とはなんでしょうか?

アレントは、活動力を3つに分類します。

それが、「労働、仕事、活動」です。

3つの活動力、「労働、仕事、活動」について


この3つの活動力をざっくり、特にそれらの活動力から生まれるものに焦点を当てて説明します。

活動は、役者や歌手などが行う「言論や行為」のことで、歌や演技のような創作活動から生まれるものであり、言葉や歌は出した瞬間に消えますし、耐久性はほとんどありません。

仕事は、「人工的な世界」を作る活動力のことです。家具職人とか道具を作る人のことで、いわゆるモノづくりをする人です。
また、仕事から生まれるものは他の活動力から生まれるものに比べて最も耐久性があるものを指し、工作人はできるだけ永続的に存在するものを作ろうとします。

労働は、人間が生きていくために必要なものを作る人のことで、その生産物は食べ物だったり100均で買えるものだったり、使用するというより「消費されるもの」で、耐久性はあまりありません。
また、労働は工場で行われている単純作業などのことを指し、著者はただ食うためだけに、欲望を満たすためだけに生きている人のことを「労働する動物」と呼んでいます。

以上が3つの活動力の説明でした。

そして、本書ではこの3つの活動力の価値評価のヒエラルキー、つまり優先順位が時代と共に変わっていき、

古代ギリシャの時代では1. 活動ー2. 仕事ー3. 労働
プラトン以降では、1. 仕事ー2. 活動ー3. 労働
近代では、1. 労働ー2. 仕事ー3. 活動

と、ヒエラルキーが変わっていった流れを説明しています。

活動について

今回は、この中でも特に活動について説明します。

まず、活動は他の活動力と違って「他者の存在」を必要とします。僕もいまサラリーマンで毎日労働をしていますが、基本的に誰とも喋らずに一人でもくもくやってますし、「仕事」で何かを製作するときも、基本的には工房などで一人もくもく作業するものです。
しかし、政治活動などの言論や行為をともなう活動の場合は一人でできるわけではありませんよね?ですので、活動には必ず他者を必要とします。

また、活動の持つ性格として、自分自身を他者に暴露する、つまり、他者の前に自分の存在を示すことで、客観的なリアリティが得られるのです。また、自分を他者に晒すということは勇気がいる行為でもあります。

次に、活動は、言葉や行為を通じた活動力であり、仕事と違って何か最終成果物を作ることが目的ではありませんので、「何も残らないしやってて虚しいな〜」と感じることがあります。
その解決手段として、古代ギリシャでは「ポリス」というグループが作られていました。
ポリスの特徴は、他人と自分の経験をシェアして自分自身を他人に対して明らかにしたり、ソクラテスのように自分でモノ(著書)を作らなくても、人々の記憶の中に自分を留めて、未来にわたって賞賛されたりします。

まとめ

アレントは、仕事と労働と活動という活動力について説明していて、労働についてディスったりもしますが、「労働を完全に取り去ると活力と生命力も奪われることになる」と、労働を全否定している訳でもありません。

ただ、今回のテーマのように「今日も生きててえらい」つまり、生命を維持すること=生きるために食う、食う(消費)ために労働をしなければならないという、労働と消費のヒエラルキーが現代では不当に高く、それについて誰も疑問を持っていないってどうなの?と著者は問い、古代ギリシャのポリスで行われていたような「活動」がオススメやで、と言っているのです。

では最後に、本書を読んでの僕の感想です。

感想

  1. 某スラムとポリスは結構似ている。スラムではゴミしか売ったらダメだし、金額について喋ったらダメだし、「経済活動」をやるためのコミュニティではないところに共通点がある。ちなみに、ポリスでは、食うために労働や仕事をしなくちゃいけない人はそもそもポリスに入れないというのが違う。

  2. 自分の中の真善美の美について。現代の活動力のヒエラルキーでは1.労働ー2.仕事ー3.活動になっている。その中でも、ニーチェがいってた「生の肯定」に特徴的な活動力である「労働」、つまり「生命や生」のヒエラルキーが低い人に対して自分は「美」を感じる。例えば、司馬遼太郎の本で描かれている幕末の主人公だとか、キルケゴールみたいに教会と戦って死んだ「騎士的」なムーブを取る人に自分は強く魅力を感じていて、なるほど、それは生命=労働力のヒエラルキーが低い人のことだったんだな、と自分の美について認識することができて良かった。

では、最後までお読みいただきありがとうございました。


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