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獣医学生だけど獣医師さんになりたいわけじゃない

獣医学科にきて2年目の春はコロナで終わってしまった。今はオンライン授業にリモート飲み会で日々が漫然と過ぎていく。

やるはずだった実習も、袖を通すはずだった白衣もおあずけで、恋人も金もないまま、おそらく貴重であろう20歳がぐんぐん過ぎ去っていく。

具体的なタスクも目標も未来も見えない、変わり映えのない今日、メンバーになっているオンラインサロンの先輩から何気なく通知が来た。


Monoは今のところ、どこの動物業界のどこの分野に進もうと考えてるの?


ふと息が止まった。寝転がっていたベットから半身を起こし、“久々に”頭が回転し始めるのを感じた。

僕たち獣医学生はこの場合、

・牛や豚等の家畜衛生管理がしたい
・犬や猫の臨床医として開業したい

という、

家畜(牛、豚、馬、鶏、羊、など)に携わる獣医師と、愛玩動物(犬、猫、ウサギ、鳥、など)に携わる獣医師の2分野に大別される。

「どこの動物分野」と聞かれたのは、そのうちのどっちなのかという意味なんだと思う。

獣医と聞くと、ほとんどの人が街の獣医師さんを想像すると思う。犬や猫を診るお医者さんだ。

でも実際は、獣医系大学を出た人が進む道はもっとたくさんある。少し紹介すると、以下の通りだ。

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ざっとあげるだけでも、結構あると思う。

じゃあ僕は一体どの分野に進みたいのか?

答えは





どれでもないのだ。






なりたい職業が無い。

小学3年から大学2年まで、10年以上目指している獣医師だが、僕は就きたい職がない。



ここで今、みんなにあまり知られていない社会問題をひとつ紹介したいと思う。

簡潔に言うと、

今日本では、飼い主をもたない犬や猫たちが、日々殺処分されている。

そしてこの事実は、僕が産まれるよりもずっと前から存在している。

行政の管理が及ぶ範囲と及ばない範囲があるため、環境省が提示している

年間43,216頭

という数よりも、もっと多くの犬猫が日々命を絶たれていることになる。
(数字は平成29年度のものです。)

僕の家で飼っている犬(パピヨン)はペットショップの売れ残りだった。小さな子犬子猫で賑わうショーケースから1匹だけ隔離され、別のケージで売られていた。「半額」の赤文字がついた値札の奥で、屈託なく愛想を振りまく姿が可愛かった。この子も僕が買わなければ、43,217頭目として処分されていたかもしれない。

ではなぜ、彼らは殺処分されなくてはならないのか。



これも簡潔に言うと、


殺処分の原因は全て、人間にある。

『子犬(子猫)が生まれてしまったけど、飼う人がいないから処分する……/飼ったはいいがしつけられない、ウチでは飼えないから処分する……/急な理由で引っ越さなくてはならず、引越し先では飼えないから処分する……/子供が飽きたから処分する……』

処分する理由は無限にある。

しかしこれは、個々人の誰が悪い、○○な人はペットを飼うべきでない、という話ではないのだ。何が良くて何が悪いということではない。勿論、犬猫たちを「金儲けの道具」や「消耗品」のように扱う人はいる。僕も含め、愛犬家や愛猫家からすればこの上ない嫌悪感を抱く。だが、これはひとりひとりの価値観の問題だ。人の価値観はそう簡単に変えられないし、それを真っ向から否定していいものじゃない。



だから、殺処分という構造を作らざるを得なかった社会そのものの仕組みを変える必要がある。

ただひとつ知っていて欲しい。犬や猫たちに非はないのだ。

殺処分の原因が全て、人間の「創り出した仕組み」にあるのなら、これもまた人間によって解決できると、僕は信じている。



僕は、この殺処分数をゼロにしたい。



ゼロにするのは少し野蛮※だから「限りなくゼロに近い数」まで持っていく。

そしてここの数字に含まれていない、「行政の管理外」でひっそりと処分されている犬猫たちも救いたい。どちらかというと、この気持ちの方が強い。



僕は、日本という国で産まれた全ての犬猫に名前がつき、それぞれが飼い主に愛される国にしたいのだ。僕が家族に迎え入れた愛犬が、僕を無条件に慕ってくれるように、僕も彼女を無条件に愛し、共に暮らす。全く異なる生き物であり、言葉も通じない「他者」であるはずなのに、共に過ごす時間が心からの幸せで満たされる。犬も猫も長い時間をかけて、人と共進化を遂げてきた。これからもずっと、ペットと人は共に生きていく。

居場所が無く、家族も無く、名前も無いまま処分される命など、これ以上あってはならない。犬猫たちはみんな、人に愛されるために生まれてくるのだから。


こういった話をした時、

「じゃあNPOたちあげて動物愛護団体で犬猫を助ければいいじゃない。わざわざ大学なんて」

必ずこう言われる。確かに、それもやり方のひとつだ。数多くの人が実際に活動している。テレビでも報道されたり、有名な活動家の方も増えつつある。

だが、それと同時に数年前から言われていることがある。

「持続可能性や安定性を考えたとき、ボランティアでは限界がある」

「ボランティアビジネスなどのビジネス形態を取って、ペットの幸せと人間の幸せを両立できる仕組みを考える必要がある」

日本には今数多くの動物愛護団体が存在するが、その全てが、そこに住む犬猫たちに充分な環境を用意できているかと言われると難しい。現に、保護した犬猫の数と用意できるスタッフの労力がバランスを崩し、崩壊する団体もあると聞く。

長い目で見た時、ボランティアではどうしても限界があるのだ。時間もお金も人手も足りないほど、行き場のない犬猫たちが生み出されている。

何より、実際にその現場で働く方々が大変だ。子犬や子猫を保護すれば、一日中付きっきりで面倒を見る必要がある。保護した子が病気になれば、病院に連れていかなくてはならない。治療費だって安くはない。

いくら動物が好きとはいえ、これでは身体も心も疲弊する。お金もバカにならない。自分が手を差し伸べなければ明日処分される命が目の前にある、などという多大なストレスを浴びて過ごしている人が沢山いるのだ。想像するだけで苦しい。

それもこれも、世の中に生み出される犬猫の数に原因がある。動物愛護団体がいくら受け皿を増やしたところで、蛇口が閉まらないのなら意味がない。これからも永遠に、行き場のない命が生みだされ、保護しきれなかった数だけ処分される。


この仕組みは今、変わらなくてはならない。


僕は、なにか新しい方法でこの仕組みを変えたい。もっと細かく言うと、犬猫たちを自在に生み出している、蛇口の方にアプローチしたい。

これからもきっと、ペットショップは無くならないし保護施設も無くならない。では、ペット業界が一体どのようであれば、余剰として処分される命がなくなり、全てのペットが人に愛されるようになるのか。犬猫を飼っている人も飼っていない人も、これから飼う人も、全員が幸せになれるような未来は、どうすれば実現できるのか。

なんらかの方法で犬猫たちを、犬猫に関わる全ての人たちを幸せにする方法があるはずだ。保護施設で懸命に働く人達が疲弊していくような現状は、必ず変えることができる。

僕が愛護団体設立ではなく大学進学にこだわった理由はそこにある。僕のやりたいことは、ひとりでは実現できないことだ。仲間や協力者が必要になる。だから入学から1年間経った今も、地道に探し続けている。そして限られた6年間という大学生活の中で、なるべく多くの人にこの夢を話し、仲間を集め、実際の社会に対し活動を起こしたいと思う。


ペットと人の両方が幸せになれる日本を創る。

これが僕のゴールだ。


 


𓅜𓅜𓅜



今、この文章を読んで、犬猫たちが処分されていることを知らなかった人、知っていた人がいると思う。

僕はまだ何者でもないけれど、この夢だけは絶対に叶える。今後も、アプリ開発やコミュニティ設立、起業など、あらゆる方法を模索していく。同じ目標をもつ人は沢山いると思う。

だから、今回僕のnoteを見て、少しでも応援したいと思ったり、「こいつおもろいな」って感じてくれた人が居たら、是非コメントをください。そして、思ったことを教えてくれませんか。1人で考えて1人で活動するのには限界があり、仲間が欲しいのです。そして是非、拡散してください。知らない人に知って欲しいし、知っている人と語り合いたいのです。

最後まで読んでくれてありがとうございます。
今後もこういった内容のnoteを書いていきますので、是非フォローしてください。むせび泣いて喜びます。


Mono𓅜

P.S.むせび泣くのはウザイのでハグしましょう。

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