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#012 凝集と拡散の『風街ろまん』

はっぴいえんどを知っきっかけは何だろう。

多分、ビーチ・ボーイズを特集した雑誌に、細野晴臣さん(以下敬称略します)がインタビューに答えてたところからだったか、評論家の萩原健太つながりだったかもしれない。

とにかく、文字情報から『風街ろまん』のことは知った。そしてそういうものが、駅中のCDショップ(東京駅のヤンレイ)に普通に置いてあったのだから、いい時代でしたよなぁ。

はっぴいえんどは「日本語ロックの開祖」とよく評される。どんなもんかなと購入した。自分が大学生の時代である。

作詞家の松本隆が所属していたことは知っていたし、彼の仕事も歌謡曲で知っていた。細野晴臣も上記のインタビューで知ってた。鈴木茂も知らなかったし、大滝詠一師匠(敬称略しません)のことはその時は知らなかった。

初めは、細野作品に惹かれた。「風をあつめて」や「夏なんです」がそう。わかりやすいんですね。でも、全然ロックじゃない。「はっぴいえんどは=日本語ロックの開祖」というところとどうしても結びつかない。

そんな疑念を抱きつつ聞き続けると、少しずつ後光をおび始めてくるのが、大滝詠一師匠の作品群(笑)。その良さに気づくと、全部が良くなります。特に「颱風」なんて最高です。

そもそも、『風街ろまん』は、この強烈なジャケットともに、統一感を感じさせるけれど、実は、各々の方向性はてんでバラバラだと思う。

さらに言うと、はっぴいえんどは日本語ロックを追求したというけれど、実質は「日本語と洋楽メロディとの合体、もしくは解放」だったんだと思う。

さらにさらに言うと、その試みは『ゆでめん』で終了していると思っている。『風街ろまん』はやることがなくなったので、好き勝手に各々が作っているという印象だ。

そんな中で、大滝師匠は3コードを守り続け(これが、彼の「ロック」の定義なのだと思う)、よりその音楽を凝集させてゆき、細野は、シンガーソングライター的にその定義を拡散させていった。その価値観の違いは、その後のお二人の活動にもよく出ている。

大滝師匠は『ロング・ヴァケーション』で大ヒットを記録したが、これを機に「拡散」の方向へ舵を切ったと周囲からは認知された。ご本人は、ある程度の節度を保ちつつ、といったつもりだったかもしれないが、次作『イーチ・タイム』では、完全に拡散させてしまったし、周囲もそれを期待していた。そして、チャートでは1位を獲得した。

しかし、大滝師匠は、拡散の先には何もないということや、拡散(つまりは悪い意味での大衆性)が賞賛されることに、音楽の終焉を感じたのではないかと思う。

そこから20年を経て発表されたシングル「幸せな結末」は「拡散ソング」。拡散こそが君たちがが求める「幸せ」なんだろ、という皮肉を感じる。逆に裏の「Happy Endで始めよう」は「凝集ソング」、はっぴいえんど時代を懐かしみ、リスタートを期待させるような内容だった。

しかし、その後、リスタートされることなく、大滝師匠は早世されてしまった。しかし、大滝師匠の残した音楽は、今もいろいろな角度で、こちらに問題を提起してくる。「あとは各自で」うん。その通りだ。

最高だ、師匠!


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