人に頼るのが苦手だけど
人に頼ることがとても苦手。
何かを聞くことも苦手。
聞いたら時間を取らせてしまう、
こんなことを聞くなんて迷惑では?
それくらい聞かなくてもやれ、と怒られるのでは?
そんな不安がある。
相手はそんな人じゃないと分かっていても。
だからいつも不安で質問できないし
できない自分を責めていた。
早く聞きなよ、なんでもないって分かってるでしょ?なんで出来ないの…と。
そして今日も仕事先の人に聞きたいことがあったのだが、
迷惑かも…と聞くのを躊躇っていて。
いつもこの後に出てくるのは
「迷惑じゃないよ何考えてんの」と責める自分なのだけど。
今日は
「こんなにいい人だって分かってても、ただ聞くという行為ができないなんて…今までどんな扱い受けてきたの?ロクな上司に出会ってこなかったんだよね、可哀想に!」
と思った。
そして
「大丈夫だよ、私がついてるから。もしも嫌な対応されてもそれはあなたの価値とは無関係。だって相手はいい大人だよ?仕事の人だよ?不快感を与えない伝え方くらい心得てる。あなたもそうでしょ?それなのに態度に出すってことは相手の問題だから、それを受け取る必要はないの。それにその質問は仕事に関わることだよね?聞かないと明日困るのは上司だよ?直前になって慌てたら?余裕がないせいであなたに八つ当たりされたら…?どっちにしろ嫌な可能性は掃いて捨てるほど浮かぶんだから。大丈夫。なに言われてもあなたの価値には無関係。」
そんなふうに思えた。
長いねぇ。
だけどこれが今の私には必要なことなんだろう。
魔法モノのアニメとかで
「あの魔法を無詠唱で…!?」
みたいなシーンあったりするけど
わたしのこの脳内会話もそんな感じなんだと思う。
今は慣れてないから長々と喋るけど、段々と慣れてきたら短くなって、いつしか当たり前になるんじゃないかな。
追記
ハッとした出来事。
いま部屋が散らかってるの。
床に服が散乱して、テーブルにもスキンケア用品やらノートやらが転がってる。
でも、そんなに不快じゃないしイライラしないし
片付けなきゃ!って気持ちにもならない。
なんでだろ?と考えてみたら
気分が乗ればいつでも綺麗に片付けられると知っているからだなって。
床に物が散らばってなくて、クローゼットに服が並べられてる状態に戻せると、私自身を信じているから。
そっちが当たり前で、今はそこに気力を割きたくないだけなんだと。
だから今散らかってても大丈夫と思えるんだ。
片付けることが苦手で
親にも片付けなさいと言われてきて(片付けの方法は教えてくれないくせに)
ずーっとずーっと片付けられないことが嫌で、片付けられない自分が許せなかった。
だから散らかってても心が穏やかな状態は初めてで。
こういうことの積み重ねなのかなぁ
色んなことに通じるんじゃないかなぁ
そう思った。