ニューノーマル時代を働くひとのメンタルケア〔イメージのアップデート〕
こんにちは。臨床心理士・公認心理師のつゆきです。
予測できない変化が連続するニューノーマルの時代において、企業・組織における人材育成のあり方は、根本から変わっていく必要がある。
ということで、前回の記事では「ニューノーマル時代は誰もにメンタル不調が訪れる可能性がある時代」「従業員のメンタルヘルスは企業の生産性と関連している。今、メンタルヘルスに取り組まないのはもったいない」という内容を書きました。
ニューノーマル時代は、企業のメンタルヘルス観も根本から変わっていって良い時代です。
今回の記事では、メンタルヘルスを維持・向上するための「メンタルケア」について書こうと思います。(2815文字)
ニューノーマル以前のメンタルケアのイメージ
心の専門職としてはとても悲しいことですが、これまでよくあるの「メンタルケアのイメージ」は以下のようではなかったでしょうか。
もしかしたら当事者の方は、上の画像を見て嫌な思いをされるかもしれません。けれど、上の画像はこれまでの時代が作った一方的な思い込み。誰もがわかりやすいようにデフォルメさせてもらっています。
私が、大学の学生相談で働いていたときも、相談に来た学生さんから「最初は来づらかった・・・」「もっと大変な子が来るところだと思ってた」「私はまだ大丈夫なのに、来ていいのかなって・・・」など語られることがありました。
けれど、実際に学生相談には、悩みが深い学生さんだけでなく、恋バナをする相手が見つからない学生さんや、複雑な履修に迷う学生さん、就活用の自己分析の一環で性格テストを受けにくる学生さん、スマホの充電をしたい学生さん。自称陰キャも、ギャルも、授業の度にインスタ用の写真を撮ってるズッ友たちも、多様な学生さんたちが来ていました。
メンタルケアを提供する場所は、含みのある意味での「特別な人のための場所」ではありません。「特別な人」というならば、誰もがスペシャルな個別性ある一人の人間です。
確かに、上の画像のように、メンタル面の不調を抱えている方にメンタルケアは有効であり、ときとして必要です。
けれど、それだけはあまりにも「狭義」のメンタルケアのイメージであるように思います。
学生相談を例に挙げれば、一度、「学生相談」という場所への理解が進み、敷居が下がってしまえば、学生たちは自由に自分自身のためにカウンセリングを活用し出します。実際に「来たことがある」という経験は敷居を下げるので、入学してすぐの授業で学内ツアーと称し、教員が学生たちを案内して来てくれることもあります。
スクールカウンセラー等の配置も進んでいますから、これから入社してくる新人社員は、小中高、専門学校、短大、大学、大学院と、当たり前のようにカウンセラーがいる環境にいた元子どもたちでもあります(ケアをされることに慣れている印象はあります)。そのことが、これまでの企業におけるメンタルケアのイメージを変えていってくれたら・・・とも思っています。
ニューノーマル時代のメンタルケアのイメージ
繰り返しですが、ニューノーマル時代は「メンタル不調が誰にでも訪れる可能性がある時代」です。ですから、メンタルケアはメンタル不調者のためのものだけではなく、「今、不調な人にも好調な人にも等しくメンタルケアの知識はあってよい」もの。=より全体的なもの。
このイメージの転換がニューノーマル時代の風に乗る「メンタルヘルス観のアップデート」ではないでしょうか。
特に「予防的なアプローチ」は好調なときに行ってこそ、というものでもあります。好調を維持すること、好調から不調に転じそうになる兆しを見つけたときに、早めに気づいてケアをしていくことが重要。
ニューノーマル時代の、とは言いますが、これは決して新しいメンタルケアのイメージではありません。心理の専門職の多くは、メンタルケアについて同様のイメージを持っていると思います(全員ではないと思いますが)。
同様の、というのは、
・メンタルケアは不調者だけに必要なものではない。
・マイナス部分だけではなく、全体を見る(補完的)。(そもそも「病」があるからといってそれはマイナスなのか・・・)
・メンタルケアの手法はメンタルヘルスの改善や対人関係改善だけではなく、パフォーマンス水準の向上、クリエイティビティを刺激する効果ある。
と、いうようなものです。
そして、心理的な「症状を出すひと」は決して心が弱いわけではなく「症状を出せるだけの強いエネルギーを持っているひと」。心理的に健康とされるひとは「健康でいられるだけの鈍感さ(健康な鈍感さ)を持っているひと」と考えられています。
なぜ、心理の専門職の多くがこう思うだろうと私が推測するかというと、答えはシンプルです。【授業や教科書でそう学ぶから】。これらは本当に基礎的な知識なんです。
比較的古くからメンタルケアがみんなのものであること・パフォーマンスと関わりがあることの、わかりやすい例を出すと「スポーツ選手」が挙げられます。
例えば、1969年の時点で、オリンピック競技に「自律訓練法」という広義の心理療法が組織的・計画的に取り入れられています。それも、スキー、体操、重量挙げなど多種目に対してです。
このように、以前から、メンタルケアに関わる手法は様々な状態・立場の人々、オリンピック選手のようなハイパフォーマーにも適応されています。
また、最強のストレスコーピングと言われるマインドフルネスも、GOOGLE 社の LEADERSHIP プログラム“ SEARCH INSIDE YOURSELF"として用いられています。
しかし、この、私たち専門職にとって基礎的なメンタルケアのイメージは、一般的にはなじみがないものです。臨床心理学ブーム以前の臨床心理学科(心理学科)は「本当の変人しかいなかった」という言い伝えのせいかもしれません。もっと広めよう、とかそういう気持ちはなかったのかなと。
・・・これは冗談ですが。
これまでの片手落ちのようなメンタルケアのイメージは、これまでの日本の社会の中で、時代と共に積み重ねられたものなのでしょう。
ニューノーマル時代のメンタルケア・まとめ
私は、COVID-19は、「働くひとのメンタルヘルス」「働くひとのメンタルケア」のイメージを時代に合わせてアップデートする、ひとつのきっかけのように思っています。
アップデート。それは本来、心理の専門職は知っている「メンタルケア」に関する正確な知識を広め直すことでもあり、
その「メンタルケアの手法」が、メンタルヘルスの改善と同時に、よりクリエイティブに生き生きと働くためのサポートも担えることを知ってもらい、
企業の生産性向上の手がかりにしてもらうことでもあります。
そして、これは、個人的に、
ニューノーマルの次の時代になる頃には「メンタルヘルス」の持つ根深いタブー感も消失しているように願っています。
サポート頂いたお金は、オフィスの維持に使っています。 ありがとうございます。