ネタバレ歓迎民の苦悩

 SNS、特にTwitterには様々な「オタク」がいる。オタクがオタク同士で繋がり各々が「お気持ち」を表現する場として絶好であるTwitterは、Instagramなど他のSNSがキラキラしたものになっていくのを横目に「オタクの生息地」として確固たる地位を築いた。私自身、友人達と繋がるリア垢とは別に「趣味垢」を作るなどして、オタクライフを楽しんでいる。
 さて、そんなオタクの帝国たるTwitterにおいて往々にして批判されるのが「ネタバレ」である。話題の映画などの公開直後には毎回のように「ネタバレ」がトレンド入りをし、オタク達が牽制し合っている。そして、ネタバレをすること自体と同じかそれ以上に批判を受ける行為が「ネタバレを見てから作品に触れること」である。これは映画やアニメなど、ストーリーが存在するあらゆるコンテンツにおいて批判を受けている印象がある。真のオタクたる人々にとって、作品を純粋に楽しむことなく、ネタバレを見て先入観に囚われたり、駄作に当たって損する時間を削減したりしようなどということは、愚の骨頂とも言うべき行いなのだ。
 タイトルでも述べたように、私はまさにその批判の対象となるような人間だ。自分でもこの行為自体が褒められるものではないということは分かっているし、他者に作品について話すときなどには自らネタバレをしてしまわないように注意をしている。それでも私がネタバレを見ずにはいられないのは、決して時間を削減したいからではない。それは「感受性が強すぎるから」だ。
 小さい頃から人が痛い思いをした話を聞くのが苦手だった。聞いていると、健康そのものである自分まで「痛い」と感じ始めてしまうのだ。特に出血した話などを聞くと、まるで今まさに自分から血液が流れ出ているような気持ちになる。また、小学3年生のある日、私は授業中に泣いてしまったことがあった。校内でもトップクラスに怖いと言われている先生の授業だったので、状況だけ見たら小学生ならよくありそうな話である。しかし、そのとき私は自分が怒られていた訳ではなかった。クラスメイトが怒られている様子を見てなぜか泣き始めてしまったのである。当時は自分でも理由がわからなかったし、先生も「なんであなたが泣くの」と困惑していた。当然である。幼少期に限らず、私の感受性が強すぎるエピソードは枚挙に暇がない。最近は「HSP」という言葉も知名度を得てきているため、この私のエピソードを聞いて共感してくださる方もいるのではないだろうか。私自身は周りの人間の気持ちに気付くのが得意だったり、人混みが苦手だったりということはあまり無いので、HSPかと言われると微妙なところだが、少なくともHSPの自覚がある人にはある程度刺さるエピソードなのではないかと思う。
 話をネタバレに戻そう。魅力的な物語にはしばしば人々が共感できる魅力的なキャラクターが登場する。そして、魅力的な展開には主人公が乗り越えるべき数々の困難が付き物だ。もうお分かりの方もいるのではないだろうか。先述のような感受性を持つ私にとって、「魅力的なキャラクター」が「困難」に喘ぐシーンというのは地獄なのだ。勿論、それこそが作品を面白くするものであるということは重々承知しているし、そのような魅力的な作品を楽しみたいという気持ちもある。ただ、どうしても耐えられないのだ。辛くて見ていられないのだ。それでもその作品を最後まで観たい。考えた結果辿り着いたのが「ネタバレを観ることで誰にどのような苦難が待ち受けるのかを先に把握しておく」という方法だった。これなら実際に見たときに辛い思いはするものの、その後の展開が分かっているという点において登場人物たちとは距離を置いた状態で作品を視聴することができる。入り込みすぎることを防いでいるのだ。
 私は一般的に「ネタバレを見てから作品に触れる」ということが批判される行為であるということを知っていたので、こんな理由でこんなことをしているのは自分だけなのではないかと思っていた。そしてTwitterなどでそのような批判を見つける度に、まるで感受性の強い自分自身が否定されているような気持ちになっていた。(そんなお前はTwitterに向いていないという指摘は至極真っ当だが、今回は一旦置いておいてほしい。)そんなある日、私と同様に感受性が強い友人が、私と同じ手順を踏んでから映画などを視聴していることが分かった。そこで初めて、この世には自分以外にも「共感しすぎるのを防ぐ」という目的でネタバレを見る人間が存在するということを知ったのだ。私は一人ではない。そう思うとなんだか少し気が楽になったような気がした。そして同時に、そのような人々の多くが自分と同様に、その特性ゆえに傷つきやすかったり考えすぎてしまったりするタイプであるということも何となく察した。
 これを踏まえて、私は何を主張したいか。別にこのような理由でネタバレを見る人を全員許容しろとは思わない。絶対にネタバレを許さない派の人からすれば理由の如何など関係無いであろう。私はただ、この世に蔓延る「作品に触れる前にネタバレを見る行為は、時間を削減したい若者たちによるもので、時代がこのような風潮を生み出したんだ!」というような記事を書く偉大なるライター様と、それを支持してネタバレ歓迎派を叩く崇高な皆様の耳元でそっと「そうじゃない人もいるよ」と囁きたいだけなのだ。お笑い芸人ジョイマンの高木さんが「ジョイマン消えた」というツイートに対して「ここにいるよ」と返すあのくだりのように、ただ「存在する」ということを伝えたいだけなのだ。そしてまた、「存在する」ということは当事者である「感受性が強すぎるタイプのネタバレ歓迎派」の皆様にも伝えたい。勝手に共感しすぎて勝手に辛くなってしまうので勝手にネタバレを見てから作品に臨むが、それを批判されることでまた勝手に傷ついてしまうそこのあなたへ。あなたは決して1人ではない。伝えたところで安心してもらえるかどうかはその人次第だが、かつての私がそうであったように、私が勝手に発信した「ここにいるよ」があなたを少しでも楽にできたなら、それは私にとってこの上ない幸せである。

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