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note、国際ヨガデー、『てばなしタイム』、夏至、熟成中。
note
5/3にnoteをはじめて、気が付くと日常でもnoteのことを考えている時間が増えた。
感情が心の中でタイトルに変換される。
次々と湧いては消えてしまうのだけど。面白い癖になった。
タイトルが浮かんだところで、深堀はできているか?
思考の具現化は?
それがこれからの課題だ。
私にとって『言語化する』ことがまだまだハードルが高いと感じている。
そもそも「感情」と「考え」もとっ散らかってごちゃまぜになっている。
全部トレーニングに思える。
自分にとって必要なことばかりだ。
出来ないことに挑戦している高揚感。
夢中になっているんだなーと嬉しくなる。
歳は関係無くまだ学んで成長できる、と思えることも小さな自信に繋がっている。
国際ヨガデー
6/21、国際ヨガデーだ。
2019年2月末まで10数年間、ヨガインストラクターとして従事してきた。
果たしてあれはなんのためのものだったのか?
ヨガとビジネス?腰痛も相まって、よくわからなくなっていたように思う。
インストラクターとして言葉を紡ぐのが好きだった。
朝には朝、夜には夜の、
雨なら雨、晴れなら晴れの、
その時に適したワードが浮かんでくる。
いらしてくださったメンバーさんたちの顔ぶれにもよる。
お客さまは何を求めていらっしゃるか?反応が悪ければ似た意味で違う言葉をチョイスして届けてみたり。
同じ言葉の重複は避け、できるだけシンプルで噛み砕いた優しい言葉を選ぶ。
オンラインの今は違うと思うが、当時は実際にその場の空気やそれぞれの肌感を敏感に得ようとしていた。
そんな時間を持たせていただけることが喜びだった。
「人と比べなくて良い」
「今を観じて」
「出てきたネガティブなこともOKしてみて」などなど…
自分が言われたい言葉を自分に言っていただけかもしれない。
『てばなしタイム』
そこまで人数が多くないクラスのとき、おひとり一分ずつくらいおはなしをする『てばなしタイム』が大好きだった。
『話す=離す、放す』
皆さんの人となりもわかって、メンバーシップも生まれてくる。
ヨガには『結ぶ、繋ぐ』という意味もある。
誰かの気付きから視点が変わったり、何を話そうか、日常にアンテナを張る感覚もわくわくした。
ふと思った。noteもそうではないか!!!!!!
人となりを文章から感じ取り、視点が変わる。考えが深まる。
noteにはどんな文章も受け止めてくれる懐の深さがある!!!
読む側としても、オモテヅラだけ心地良い当たり障りのない文章よりも、人間性のある生きた言葉のほうが刺さるし心に響いてくる。
夏至
そして今日のお昼ごろ、夏至を迎えた。
エネルギーの転換点ゆえ、『選択と決断などのテーマがある』とも言われる。
!…まさに!!!!という流れを感じた。
わたし、変われた!
熟成中
まだ正直、
「どんな人に向けて」
「何を綴っていきたいのか」
はっきり絞りきれていない。
『自己満足なだけの感情の吐露』
に恥ずかしさや抵抗感は否めない。
でも、書いてみたい。
今の自分にしか書けない文章を。
一日かけてもたいした文章が書けない。
今はそれも楽しんでいる。
推敲するのも楽しい。
今の自分はこの程度w
それで良いし、それも楽しい。
記録として、のこします。
読んでくれてありがとう。
この瞬間、瞬間に、
若さとか、年よりとか、
力があるないとか、才能とか、金とか、
あらゆる条件を超えて、
その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、
生きるということだ。
岡本太郎/芸術家
もんこ49
すみません。ありがとう。