
古典メモ(1)『老子』〈前編〉
一般的に広く呼ばれている『老子』とは、老子が著した書という通称であって、丁寧にいえば『老子道徳経』と言います。上下二篇に分かれ、上篇は三十七章、下篇は四十四章、あわせて八十一章からできています。
元来、章立ては行なわれておらず、帛書『老子』でも、ところどころに句点と思われる記号があるのみです。前漢・文帝のころの人、河上公が付注したという『老子』は八十一章の章立てで、これが分章した最初のものということになるそうです。
前漢の司馬遷(前一四五年ころ?~?)が書いた『史記』に伝記が載っていれば、それを第一資料にするのが普通らしいですが、その「老子伝」でもひとりの人物に絞りきれず、老萊子や儋など、候補者として三人の伝を記しています。すでに司馬遷の時代、老子は伝説のベールに覆われていた、というわけです。
三人のうち、最も有力なのは老耼です。『史記』によれば老子は、姓は李、名(諱、本名)は耳であり、耼とは字(実名のほかにつける呼び名)です。伯陽が字、耼は謚(死後に贈る称号とする)という説もあります。
老子とは号(通称)ということになります。「耼」とは「耳が長い」という意味で、古代中国人は身体の特徴を字につけることがあるので、老子は耳の長い人であったようです。また、耳と耼のように、諱と字が関連してつけられることも多いそうです。
老子は、楚の苦県、厲郷の曲仁里の人であると言いますが、「苦」には苦いとか苦しいなどの意味がありますし、「厲」は皮膚病(ハンセン病)のことで、「曲仁」とは曲がった仁という意味にもなるので、古代中国人の差別意識を考えると、この地名は老子を貶めた架空の名前のようでもあります。
しかし、唐代の張守節による注釈書『史記正義』に引用されている唐初の地理書『括地志』や、他の資料も拠り所にして、地名の特定がなされています。それによれば、曲仁里とは現在の湖南省鹿邑の太清宮というところだとされ、鹿邑には一九九一年に中国鹿邑老子学会が設立されました。
老子と合わせて「老荘」ともいわれる『荘子』は、老子と同じく無為自然を唱導していました。その『荘子』の「天下」篇は、最初の中国思想史といえるものですが、そこでは老子(老耼)は関尹とともに「古の博大真人」として位置づけられています。「博大」とは広大な徳のことであり、「真人」とは道を体得し、道が身体中に充満しているような、充実した人物のことを指します。
この『老子』は『道徳経』とも言われるように、「道」と「徳」についての論述が中心となっています。『老子』の思想の最大の特色は、「道」を宇宙の本体にして根源であるとした点です。通常、思想家の説く「道」は、人間が歩むべき正しい「進路」を意味しています。ところが『老子』の場合、「道」は天地・万物を生み出す創造主であり、自分が生み出した森羅万象の有象世界を制御し、支配し続ける主宰者でもある、という位置づけです。
さまざまな宗教で造物主とされる神は、ひたすら自分だけを信じるよう、恩返しを要求するものです。もし相手が自分の命令に背くと、逆上した神は、その罪を咎めて罰を下します。ところが『老子』の「道」は、そうした神々とはおよそ性格を異にするものです。「感謝しろ」などと恩を着せない代わりに、万物に愛情をかけて救おうともせず、冷ややかに彼らの消滅を見守る存在です。
『老子』の思想はその全体が、「道」の在り方を体して国家を統治するよう君主に求める、政治思想となっています。「道」の在り方に則る統治とは、すなわち「無為の治」です。名誉や栄光に包まれて君臨したいなどと望むようでは、そもそも君主失格ということになります。君主は権力を振りかざし、支配欲・名誉欲などをむき出しにして統治してはならない、と『老子』は説いているわけです。
上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る、故に道に幾し。
居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与るは仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。
夫れ唯だ争わず、故に尤無し。
最上の善とは水のようなものである。水は万物に利益を与えながら他と争うことがない。そして皆が嫌がる低い場所にいる。それゆえ道に近い存在と言えるのである。居所は大地がよく、心は深遠なのがよく、与えるのには仁愛をもってするのがよく、言葉は嘘がないのがよく、政治は治まるのがよく、物事を行うには能力があるのがよく、動くのには時機をみはからうのがよい。水はただただ争わない。だから他から咎められないのである。
明治書院の『新書漢文大系』では、「能」を「有能であること」と解釈していますが、個人的には岩波文庫に記された説が好きなので、併せて引用したいと思います。
最上の善なるあり方は水のようなものだ。水は、あらゆる物に恵みを与えながら、争うことがなく、誰もがみな厭だと思う低いところに落ち着く。だから道に近いのだ。
身の置きどころは低いところがよく、心の持ち方は静かで深いのがよく、人とのつき合い方は思いやりを持つのがよく、言葉は信であるのがよく、政治はよく治まるのがよく、ものごとは成りゆきに任せるのがよく、行動は時宜にかなっているのがよい。
そもそも争わないから、だから尤められることもない。
「能」は「任なり」(『広雅』釈詁)とあるように「任せる」意と考え、「ものごとは成りゆきに任せるのがよい」と解釈しているようです。このほうが、わざわざ「水」を引き合いに出した意味もありますし、水との親和性が高そうです。
第八章で、老子は水を最高の徳を備えた物質として讃えていますが、第七十八章でも、……
天下に水より柔弱なるは莫し。而も堅強を攻むる者、之に能く勝る莫きは、其の以て之を易うる無きを以てなり。
弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下、知らざる莫くして、能く行なう莫し。
是を以て聖人云く、「国の垢を受く、是れを社稷の主と謂う。国の不祥を受く、是れを天下の王と謂う」と。正言は反するが若し。
この世の中には水よりも柔らかでしなやかなものはない。しかし堅くて強いものを攻めるには水に勝るものはない。水本来の性質を変えるものなどないからである。
弱いものが強いものに勝ち、柔らかいものが剛いものに勝つ。そのことは世の中のだれもが知っているが、行なえるものはいない。
そういうわけで聖人は、「国中の汚濁を自分の身にひきうける、それを国家の君主という。国中の災厄を自分の身にひきうける、それを天下の王者という」と言う。正しい言葉は、常識に反しているようだ。
……と説いています。また、水について直接的なことは述べていませんが、第六十六章にも、……
江海の能く百谷の王為る所以の者は、其の能く之に下るを以て、故に能く百谷の王為り。
是を以て聖人は、民に上たらんと欲せば、必ず言を以て之に下り、民に先んぜんと欲せば、必ず身を以て之に後る。
是を以て聖人は、上に処りて而も民重しとせず、前に処りて而も民害とせず。
是を以て天下推すを楽しみて而も厭わず。其の争わざるを以て、故に天下能く之と争う莫し。
大河や大海が幾百もの河川の王者でありうるのは、それらが十分に低い位置にあるからである。だから幾百もの河川の王者でありうるのだ。
そういうわけで聖人は、人民の上に立とうと思うなら、かならず謙虚な言葉でへりくだり、人民の先に立とうと思うなら、かならず我が身のことを後にするのだ。
そういうわけで聖人は、人民の上にいても人民は重いとは思わず、人民の前にいても人民は障害とは思わない。
そういうわけで、世の中の人々は喜んで彼を推戴して、いやだとは思わないのだ。そもそも誰とも争わないから、世の中の人々は彼と争うことができないのだ。
……とあり、水の低い位置を目指すという性質を述べています。つまり「衆人の悪む所に処る」というのも、水は誰もが嫌がる低い場所へ低い場所へと向かっていくからで、このような水の性質は、老子の考える「無為自然(作為がなく、自然のままであること。老子は、ことさらに知や欲をはたらかせず、自然に生きることを良しとしました)」の「道」に極めて幾(近)いものであるというのです。
【参考文献】