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嬉しかったことを忘れたくない

「知りたかった最高も
 知ってしまえば最低限に
 どうしたって満足は
 出来ないようになってるみたいだ」

SUPER BEAVERの「ラヴソング」という曲の一節で、僕の好きな曲です。

目指していたことも達成してしまえば
いつの間にか当たり前になってしまう。
この前、達成したことでは満足できない自分がいる。

そんなことを感じていた時に
この歌詞を見て、「この感覚は自分だけじゃなかったのか」と感じました。

目指していた何かになれたり、欲しかった物が手に入ったりした時って、すごい嬉しいと思うんですよ。

特にめちゃくちゃ苦労して、この目標のために、って頑張って目標を達成できた時とか、
ようやくゴールに辿り着いた!みたいな感じで
すごい嬉しい。

そのはずなんだけど、僕の場合は
しばらくすると「あーこんなもんか」とか「なるほど、俺が目指してたところはこういうとこか」と目標の実態が具体的にわかってきて、
いまの状況が見慣れてくる。当たり前になる。

さらに、
「こうじゃないんだよな」とか「もっとこうしたい」とか、どんどん欠点も見えてくるし、課題点も出てくる。

気づけば
新たな次の目標や場所に向かって動いていく。

ある時
僕はそんなことを何度も繰り返していることに気づいたんです。

その時、ふと思ったことがあります。

「あれ?そういえば
 少し前の自分って
 今いるこの場所を死ぬ気で目指していたよな」

「あの時死ぬ気で目指した場所にいるのに、
 何の有り難みもなく、ここにいるな。
 何なら文句も言うし、
 少しばかりサボろうともしてるな。」って。

そんな時にたまたまSUPER BEAVERに出会い、
「ラヴソング」という曲を聴きました。

行ってみたい!知ってみたい!と思っていた最高の場所も、
辿り着いてみれば見慣れてきて、
いつしか自分自身の最低限(当たり前)になっている。

当たり前になってしまえば、
目指していた時の気持ちすら忘れかける。

その時、感じていたことすら、
いま思うと自分とは別人のように思えてきます。

もちろん、どんどん次へ向かえるのは、良く言えば「向上心」となるかもしれないし、
忘れることで切り替えて、次に向かえる。
別に悪いことじゃない。
もともと人間ってそういうものなのかもしれません。

それでも、あんなに頑張って目指していた場所なのに、
今はその目指した場所を不満に感じていることが、
なんだか変だなあ、と思いました。

次に一生懸命向かうことも大事なことだけど、

今いるこの場所も

当たり前になってしまっているこの場所も

ほんとは当たり前じゃなくて、

かつての自分が
実は死ぬ気で頑張って辿り着いた場所だと改めて思うと、

今あるこの状況も大事にしなくてはと、思いました。

それとその辿り着いた時に感じた

「よっしゃ!やった!」という

嬉しかったことも忘れたくない。

例えば、

初めてnoteの記事を書き終わったとき。

初めてnoteを投稿したとき。

初めて自分のnoteにスキが付いたとき。

誰だかわからない自分みたいなやつの
記事を読んでくれた、
スキを付けてくれたという喜び。

自分はバカなので、
今後も忘れてしまうかもしれないので、
このバカを戒めるために
この記事を残しておきます。

「当たり前じゃねえからな!」
(極楽とんぼ・加藤浩次さんボイス)

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

おわり

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