【異郷日記】4/9/24 Validtaionも意見・気持ちも方法を間違うと伝わらない
とにかく眠る。ミーティングぎりぎりまで惰眠を貪ろうと思ったが、今日のクライアントワークの準備をしてなかったので起きる。
ご飯を食べ、昼食の用意をしながらもトピックやセッションの流れの準備をする。今日のテーマはvalidation、つまり承認するということだ。人格障害を持ち、薬物ドラッグの使用、あらゆる形の自傷行為、家出などを繰り返している子の母親と。そのお母さんは、とても賢く、でも気取りがなく、母国のプライドを持ちながらもここで凛と生きている、静かだけど、ブラックユーモアもある人。愛情もあり、私はとても好きなタイプの人だ。彼女の娘は、母から愛されたことがないといい、母に怒りを向ける。家族の環境など仕方がない部分もあり、娘の言い分もわかるが、お母さんに同情の念を禁じ得ないほどの言動だ。そして娘の行動はかなり親として消耗するし、日常生活への影響も大きい。しかし、このお母さんはとても強く、日常のルーティンを回し、家庭を切り盛りしている。この強さは自己の感情抑制にも影響し、声を荒げたりもしないが、感情を出すこともあまりない様子。
ミーティング後に、このお母さんとセッションを持ち、今日はその娘への対応で重要なvalidationについて話した。validationは行動面と感情面があって、感情面が大切であること。 行動が褒められないならば、感情面をみて寄り添って認めてあげることを提案、validationは娘に伝わる方法でないといけないが伝わっていると思うかと投げかけ、伝わる方法がどんなものか、これについてまた次回話すことになった。感情を出すことはかなり有効な方法の一つで、泣いたり、気持ちを伝えたりするのも伝わるかもしれないと話すと、そうした場合、他の人にはシンパシーもエンバシーも見せるのに、自分にだけは見せないで断罪されると言ってつらそうだった。
プロフェッショナルバウンダリー的には泣くのは基本的に禁じ手だが、この件はよいと判断した。感情のシェアがこの母娘には必要なのでそのエクササイズとしての意味もあった。2人で涙ぐみながら話して、お互いの気持ちが伝わってとても嬉しかった。
この後は通常業務。昨日も今日も東アジア出身の同じワーカーと働いたのだが、本当に苦しかった。私が提案するクライアント対応をはっきり否定して、どうすればいいかを延々と説明してくる。その内容はわかっているが、私は別に理由があって言っているので、とその理由を説明しようとしても遮って、私を説き伏せようとする。合間に、私は休暇でいなかったから実情を知らないとか、この子はこういう子だからこうした方がいいとか、一方的に先生のように話してくる。講義は要りませんと乱暴に言いたいが我慢して、あきらめて相手が言い終わるのを待ち、もう面倒で聞く気も起きないが、わかった、とだけ返事をして、同僚の好きなようにさせる。なぜかこういうやり取りが一回のシフトで2-3回発生する。とてもしんどい。そして、これは昨年直接対決した、この同僚と同じ国出身の、姻族となった者を思い出させていることに気がついた。常識では考えられない、私の家族への無礼で舐め切った行動に、喧嘩などしたことのない私も怒りが抑えられなかった。こちらのロジックは聞かないし伝わらないのに、相手のロジックもない辻褄の合わない説明を聞かないといけないという大変不愉快な経験だった。そのうえ、家族も私の言っていることは正しいし全面的に同意だが、とにかく和のために矛を納めろと言われたという大変理不尽な経験は、去年の下半期ずっと残り、私の心身を焼き尽くしそうだった。
この同僚とはあまり一緒に働くことがなかったので、気づかなかったが、この同僚と姻族はとても似ている。意見や見解が分かれた場合、自分の意見を延々と話し、相手に口を挟ませない。こちらの意見をよく聞かないで否定してくる。絶対に自分の意見を通そうとする。すごくいやなコミュニケーションだ。
仕事上、私はセラピューティックな視点で長期的に考えるが、この同僚はしつけやルール的な視点がメインですぐに結果を出そうとするのも大きな違いの一つ。このセラピューティックな姿勢は、状況によってはソフトで甘い、舐められていると見えるらしく、そういう前提で話をしてくる。一度、いつもソフトな私に反抗してきた子をこの同僚が収めた時にマウントを取られてそれをずっと使われている気がする。そしてそう言う時に沸き起こる怒りのコントロールがうまくないのも事実だ。
私が日本人というのもある気がする。東アジア圏で見かけが似ているのと、微妙なライバル心みたいなものだと思う。また、私の方も、同僚のしつけみたいなやり方に賛成できない時が多いので、最初から猜疑心を持って話しているのも本音だ。方向性の違いが決定的なコミュニケーション不全の原因だと思う。折れてもいいが、講義には耐えられない。現地人の同僚にはそんな態度をするのか見てみたいが、二人にならないとわからないので、見ることはないだろう。
こういう不愉快なコミュニケーションについて、はっきり話すことが大事だと思いつつ、持ち出すことができず、連日ストレスが溜まっていた。今日は私が忙しくなることを考慮して、昨日、今日の分も含め大量の雑務のほとんどを私がしていた。そのため、同僚が自ら今日は雑務をやるといったが、終業時間も迫る今も山のように残っている。その横を何も言わずに素通りしていった。いつもなら面倒だから聞かずに自分でやってしまうが、そういうのは終わりにしたいし、昨日の作業量とこの時間の差し迫りを考えるとかなり不公平なので、私は勝手にはやらないと決めた。同僚に、雑務を時間内にできそうなのか、それとも私がやるべきかと聞いた。イライラしないように努めたが、イライラが滲み出ていたようで、その言い方が嫌だった、自分を怠惰とジャッジされたと感じた、私はあとでやるプランがあった、あなたはオーガナイザータイプだけど私はフレキシブルタイプだとまた延々と文句を言われた。いや、意見の相違時にフレキシブルなのは私で、あなたは絶対に譲らず講義をしてくるからいつも折れてるんだけどと言いたかったが、どうせ伝わらないし火に油なのでやめた。でも、こんな遅い時間までたんまり雑務が残っているのに、そのあとでやるプランも聞いてないし、ずっとパソコンに向かってるから、私に雑務をすることを期待されているのかわからなかったし、あなたも終業時間には寝た方がいいのでとにかく終わらせたかった、と話した。
そして、とにかく言い方は確かに少し雑でよくなかった気がしたのでそれは認めて、言い方がよくなくてソーリーと一度言ったが、すぐに後悔した。なぜ私はソーリーと言っているんだ。悔しくなった。他にも腹立つことがたくさんあるのに我慢している、怒りを溜めている自分が悪いし、溜まった怒りをこの件の言い方に混ぜたのが悪い。とにかくこの件はこの件としてフェアでいたいと思ったからのソーリー。が、こういう無意識のいい子ちゃんが裏目にでて、私の本当のところの意見や気持ちがうまく伝わらないし、いつまでも気持ちも鎮まらないのだと思う。それにしても一方的に悪い訳ではないのになぜ私ばかり責められるのか。それを許すきっかけを作った、言い方が未熟な自分に腹が立つ。結局は、この雑務の件は、他のワーカーの雑務への貢献度の低さや任せっぱなしの態度への不満に向かって、終息のための着地点がみえた。最後に同僚もソーリーとハグを求めてきて、なんとなく応じた。そんなふうにはっきりものを言って、素直に気持ちを表現できることは同僚の強みだと思ったし、それはとてもいいことだと他人事のように思った。
外に出て車に乗ったらホッとして少し動けなくなりそうだが、早くそこから離れたくて帰路を急いだ。とにかくしんどい夜だった。次のシフトをみた。しばらく一緒のシフトはない。心底ホッとした。もちろんバンドエイドだ。しかしその間にもう少し考えてみる。
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