【異郷日記】13/9/24 ゴミの回収のしかた

しっかり眠れて、朝早く目が覚めた。ギリギリまでゴロゴロして、魚に餌をやり、白湯を用意してからヨガに出る。こんなふうにヨガ前に余裕のある時間を持てるのは珍しい。連日のエクササイズの成果か、身体の強張りが少なく、動きやすいことに小さく感動した。前後の談義の間に、水もたっぷり飲めたし、気持ちよい一日のスタート。しかし、心の中ではざわざわと気になることが渦巻いてなんとなく重い。気にしても無駄なので、気にしないでいられれば一番よい。感情は捨てる。事実だけをみる。その分別に1番効果的だと思う気持ちを少し書き出すことをしてみる。

人間の気持ちは波のようで浮き沈み、上がり下がりがある。夕方から仕事であり、そのうえ、三者で話す前で、無自覚だが常に緊張もしていると思う。休みだと気が緩むが、仕事に行く前はその緊張が高まるのを自覚する。なぜなら、やはり懸念事項が気になり出して、無意味な心配やぐるぐる思考が始まるからだ。

こういう時はいつものルーティンをこなしたり、家事などで行動の切り替えたりするのが大切だ。加えて、エクササイズや太陽を浴びながらのウォーキングも意識して行うようにしている。やはり体を動かすのはよい。心もスッキリと落ち着くし、身体が疲れて夜眠りやすい。ウォーキングは頭の整理をする書斎のようなもの、と昔新聞でギリシア哲学者のことばとして紹介されているのを見てから記憶に残るフレーズだ。

平日の昼下がり、遊歩道には人があまりいなかった。ゴミ収集車がきて、ゴミを回収していく。日本と違って、各家庭に大きなゴミ箱を備えることが義務付けられており、それを回収にきて、車についたフォークリフトを使って持ち上げて天地を逆転させ、車体の後ろ半分を占める巨大なゴミ箱部分に、その各家庭のゴミ箱に入っていたゴミが格納される。フォークリフトでまた家庭用ゴミ箱を降ろして隣の家のゴミ箱に向かう。初めて日本から来た時に、おもしろいから見た方がいいよとこちらに住む日本人に言われて意識して見たのが最初だ。五年前にやってきた両親にも見せた。町内のゴミ収集場に行くのが大変だとこぼしていた彼らもおもしろがっていた。

日本の狭い車幅の道路ではこちらの手法の実現は難しいが、いろんな方法を見るのは価値観を変えるのに手取り早い。これしかまかり通らない、という融通の効かない思考になっているのを壊されたりするのは、案外こういう何気ない日常生活の違いだ。だからいろんなところへ行って、細かな日常生活の違いを知るのが昔から好きだ。頭の体操を無意識にしていたのかもしれない。こういう何気ない瞬間に気を置ける時間があまりなかったように思う、心の余裕のなさを反映するように。

そういえば、家からでるゴミはこんな風に淡々と事務的に回収されていくが、心身の疲れというゴミの捨て方はさまざまだ。私自身は心身のゴミである疲れを捨てていく方法をそれほど持っていない気がする。ウォーキングとカウンセリング、友だちと話す、読書などだか、没頭する作業があるといいなとぼんやり思う。

家人から託されているルーティンもこなし、無理やり夕飯用のサラダの材料を用意して、仕事へ。緊張もあったが、やはり行くと元気が出てくる。クライアントも少なく、溜まった事務作業に追われつつ、久しぶりに雇われた新しい臨時職員のワーカーと話して、新しく入る人と話す感覚が久しぶりだなと思った。いつもなら悩まされる夜中の空腹もなく、目論見通り身体の疲労で眠くなって、ベッドに入ってすぐ電気を消した。

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