【異郷ライフ】30/08/24 よく眠れた朝
今朝は完全に寝ぼけていた。真夜中にトイレに起きた時に、道順がわからなくなった。なぜかどこかの日本旅館に泊まった気がして、よく部屋の入り口に置いてある廊下にでるスリッパが見つからなくて焦った。真っ暗だった。半分夢を見ていたような気がするが、実際にトイレに行きたいのも体感としてあるにもかかわらず手間取ったので焦った。何より、実際に自分がどこにいるかわからなくなったことに驚き恐怖を覚えた。細い光の筋を頼りに、スリッパを探すと、自分の靴だった。暗闇に加え、コンタクトレンズも外しているので姿は見えないが、感触でいつも仕事で履いている靴だとわかった。
そこでパチンと泡がはじけるように、ああ今私は仕事で泊まり番をしているのだと理解した。
仕事場ではいつもだいたい眠れない。そして日本から24時間かけて戻ってきてから2日目の夜、飛行中も到着してからもずっと眠くて眠くて、仕事以外は家でずっと寝ていた。それなのにまだ眠れることに我ながら驚いた。トイレには無事に行けてまた眠った。
朝になってアラームがなった。トイレに行った後の記憶がないほど深く寝ていた。次のワーカーがくる時間であり業務終了だが、その後も寝続けることはなんとなく慣習的に黙認されている。いつもは朝、次のワーカーが来たと同時に帰宅する。眠くても、少し寝ていたくても、とにかく常に起きて帰っていた。早く帰ってゆっくり寝たかったからだ。そして職場ではリラックスして寝ることができないからだ。しかし、今日は眠くて、まだベッドでどろどろとまどろんでいたくて、そのまま寝続けることを選んだ。自分が朝シフトの時には、だらだらといつまでも寝ているワーカーにイライラしていたし、そういう人たちが嫌だったし、内心批判していた。それは仕事に必要なアウトリーチ用の携帯電話等のアイテムが使えないことが理由だった。
携帯電話はどうしてもなくてはならないのではなく、寝ている人が起きてから使うのでもいいが、最初から自由に使える時とは違って、先送りにしなければならない作業が出てくる。それに、万が一使わなければならない事態になった時に、こちらは正当な理由があるにもかかわらず、人の眠りを妨げるのは悪く感じるので、なんとなく謝ることになる。
私は典型的な日本人で、人とのコミュニケーションの潤滑油のように謝るという行動を取ってきたし、それは今もわりと自然に行っている。謝らなくていい、謝らないようにと同僚や上司に言われるほど無意識に口にしていた。上司と話しながら、私の無用に思える謝罪には、もう謝罪の意味はなくて、挨拶の一部ともいえることに気づき、そう説明してからは、自分も不必要な謝罪を控える意識が出てきたし、日本の文化的な側面も理解しようとしてくれる人がでてきた。なので、当地の謝罪のもつ意味を理解しつつ、日本人としてのアイデンティティを両立させようと、無害な場面の謝罪は日本的感覚で行っている。
しかし、日本を出てから、空港で、お店で、銀行で、人混みで、電話って、あきらかに先方のミスであり、日本にいる時のように、謝罪が当然と思える場面であっても、謝罪がない場面に多く遭遇した。そんな時、行き場のない怒りをいなしたり、ぶつけたりしながら、それが当然の社会で生きるために、謝る必要のない時、謝りたくない時は絶対謝らない意地みたいなものが育った。この意地の芽生えは日本にいる時からもちろんあったが、さらに強く育った気がしている。しかし、この自分の中の意地の強固さにつきあうのも面倒で、それと向き合わないようにしていた。眠くて動きたくなくても早く起き、自分は次のワーカーの仕事の妨げをしないという姿勢で動き、人が寝ていても、業務を先送りにしてその人が自発的に起きるのを待つようにしてきた。謝るのを避ける意味もあったと思う。自分が同じくことをして、ゆるい姿を見せるのは、隙を見せるのと同じ、負けのような気がしていた。
今日は自分の眠りを優先して、次のワーカーがきても寝ていた。この寝るか起きるかは人それぞれで、私のように次の人が来たらすぐに帰宅するか、いつも1時間以上寝続けて携帯を使えなくさせる若干一名、朝行ってしばらくすると携帯を手渡しに来てからまた眠りに戻る人が最近は多かった。今日は、携帯電話はすぐに手渡して、次のワーカーが自由に使えるような配慮はしてから眠りに戻った。その時にも一つ自分の中で葛藤があったが、それを乗り越えて、他人に見せまいとするゆるんだ姿をさらすことを許した。具体的には、パジャマに何か羽織ったぐらいの姿で携帯電話を渡すことで、他人にはたいしたことがないことでも私には大きなことだ。職場というオフィシャルな場所で、なぜかプライベートが混ざる感じが苦手だった。しかし、やってみればなんてことはなかった。そして他の人がそんなゆるい姿を見せてくる時は、驚きながらもなんとなく親近感がわいたことを思い出した。今日は自分が自分のニーズを優先したし、自分の理想のあり方を携帯を手渡すことで体現したし、今までの苛立ちを清算した気がしたし、自分のニーズと他者との調和を両立する譲歩みたいなものを具体的に体現できた気がした。
1時間未満で起きる気になり、ゆるゆると着替え支度をした。いつもは半ば腹を立てながら支度をする。使ったシーツなどを畳んでしまうのは一手間かかり、面倒だからだ。今日はそんなこともなく、よく眠れて自分を尊重した満足感で焦ることもなく、ゆっくりとぼんやりと片付けた。その後、焼鮭がついた朝食定食を食べに近くのカフェに行った。朝から、いや真夜中からの眠りがもたらした変化。こんな朝も悪くない。
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