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自己理解の迷宮で迷うすべての人へ|自分に確信をもつために必要なたった1つのこと


私は現在、自己理解プログラムを受講しています。

「自己理解」ってめっちゃ迷宮じゃないですか?

プログラムを受講している私でさえそうなのだから、
一人で「自分とはどういう人間なのだろうか」と悩んでいる人はなおさら、
常に揺れ動く価値観の迷宮で、正解を探し続ける続ける苦しみを感じているかもしれません。

そんな人に私が言いたいのは、「迷ったままで大丈夫だよ」ということ。

なぜそう言えるのか、自分に確信をもつために必要なことについて、私なりに気づいたことを書きます。

自分の価値観に確信をもった瞬間、人間の魂は輝く

十二国記という小説シリーズをご存知ですか?
私にとっては人生のバイブルとも言えるこの作品。
その中でも、大好きなこのセリフを紹介したいと思う。

裏切られてもいいんだ。
裏切った相手が卑怯になるだけで、わたしのなにが傷つくわけでもない。
裏切って卑怯者になるよりずっといい。

十二国記・月の影 影の海

これは物語の主人公の陽子が、人に裏切られる不安と恐れの中で、本当の自分を見出した瞬間のセリフです。

めちゃくちゃいい作品なので、ファンタジー小説好きだよ!という方はぜひ読んでみてください。

また、私は以前こんな記事を書きました。

「葬送のフリーレン」のシュタルクが覚悟を決めたこのシーン。

これも、「自分とはこういう人間だ」という、自分の在り方に確信をもった瞬間を描いているんだ、と気付いたとき、
「自分の価値観に確信をもつ」とは、こういう瞬間のことなんだ、と自分の中で繋がりました。

そしてこの瞬間の人間の持つ、魂の輝き。

これがこんなにも、人の心を震わせる。
まさに魂の輝きっていう表現がふさわしい。

この「魂の輝き」こそが、「自己理解」を通して私がずっと求めていたものだったんです。

自己理解において「正解」を探してはいけない

私は昔から「自己理解」に興味がありました。

高校生のとき、タイトルは忘れたけど、自分を理解する1000の質問、みたいな分厚い本を買って本棚に置いていたら、
妹に「ほんとこういうの好きだよね〜」と呆れ顔で言われた記憶がある。

(ちなみにその本は読破できず未だに実家の本棚で眠っている( ˘ω˘ ) スヤァ…)

自分がどういう人間かを理解したいと思い、自己分析や自己啓発の本を読み漁った。

でも答えは見つからない。

それどころか、何が正しいのかわからなくなり、ますます迷ってしまう。

私のように、「自己理解」という領域に興味がある人ほどこんな罠にハマってしまうのではないでしょうか。

自己理解を深めようとすればするほど、迷宮に迷い込んでしまう。
これは、「正解」を探そうとするからなんです。


私も長い間、自分の価値観や生き方について「正しい答え」を探し続けました。

完璧な自己理解を手に入れることで、人生の不安や迷いが消えると信じていたのです。

しかし、その過程で気づいたのは、正解を求めることで自分がますます見えなくなってしまうということでした。

確信が持てない自分に確信を持つこと

では、どうすれば自己理解が深まるのでしょうか?

自分に確信をもつたった1つの方法。
それは、確信が持てない自分に「確信を持つ」ということ
だと私は思います。

禅問答みたいな回答ですみません、伝わるか自信がないところもあるけど、説明してみます。

例えば、自分の価値観を明確にするワークをしていて「なんだかしっくりこない」「まだ確信が持てない」という状態。

それで全く問題はないんです。

「出した答えに確信が持てない状態」に対して「自分を見出す」ことが大切です。

答えに確信が持てず、いつまでも正解を探し求めて深堀りしまくっちゃう自分。

そんな自分に「自分らしさ」を見出してあげる。

この感覚が本当の自己理解の第一歩だと感じました。

自己理解のための問いに対し、完璧な答えを出せることが自己理解ではない。
(だからある意味、自己理解プログラムでただワークに回答するだけでは、満足のいく自己理解を得られない、とも言える)

「子供の頃好きだった遊びはなんですか?」→「セーラームーンごっこ」

ん?他にもなかったかな?この回答でいいのかな?なんかしっくりこない。

回答に迷った自分、迷いながら、「セーラームーンごっこ」と回答した自分。

そんな今の自分の状態を丁寧に見て、「自分らしいな」と受け入れていく。

これが、いわゆる「自己受容」であり、セルフコンパッションという概念とも重なるのだと思います。

自分の完璧でない部分、迷いや不安を含めて、全てを受け入れることで、確信が持てる瞬間が訪れるのです。

自分に確信を持つための実践

私にとって、noteでの発信は「自分の価値観への確信」を強めるための手段となっています。

言葉にして表現することで、自分の内なる声が明確になり、それが自分自身の確信へと繋がっていくのです。

先ほど触れた『十二国記』や『葬送のフリーレン』の登場人物たちが自分の信念に確信を持った瞬間を見て感じたように、
私もnoteを通して自分の価値観に向き合い、それに確信を持てる瞬間を体験しています。

他者に向けて発信するとき、自分の考えや気持ちを整理して言語化するプロセスが必要になります。

その過程で、「これが私の考え、価値観である」と、自分自身に対して伝えることとなり、
まるで、もやもやしていた概念が輪郭を帯びるようにくっきりしていく感覚を感じることができます。

魂が輝く瞬間を求めて

自己理解において「正解」を探すことが難しいのは、答えが外にあるのではなく、内側にあるからです。

そして、その答えを探す旅の中で、自分の価値観に確信を持つ瞬間、つまり「魂が輝く瞬間」に出会うことができるのです。

発信を通じて、自分の価値観を確かめ、深めることで、その瞬間を繰り返し迎えることができるのだと思います。

これからも私は、発信活動を続けていくことで、自分の価値観に確信を持ち、魂が輝く瞬間を探し求めていきます。

それこそが、私がnoteを通して追い求めているものなのです。

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