夏のロックフェス全トケにつき、初参戦を回想する(後編)
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音楽の聖地への通行券を手に入れたオレたちは、それまでに蓄積された疲れが吹っ飛んだかのような晴れやかな足取りで、徹夜で血走った目をギラギラに輝かせ、ステージの方へ向かって芝を蹴り出した。ちょうど一組目のアーティストのAIRが演奏を開始したところ。空間を切り裂くエレキギターの音が鳴ったと同時に、オレは武者震いを覚え、“音楽フェス”にいる実感が沸き上がってきた。
…という風に行く訳でもなく、AIRを3人とも良く知らないため、「へえ~」や「ほお~」と言いながら遠目から見て過ごし、長い道中で消費したヒットポイントを回復することに集中していた。
オレの目当ては次に出てくるバンドのHUSKING BEEだ。AIRのステージが終盤に差し掛かったころにやわやわと陣取りを始める。
HUSKING BEE(以下ハスキン)とは、Hi-Standard(以下ハイスタ)に代表される90年後半~00年代前半の日本のパンクシーンで人気を集めたバンドである。出会いは、高校生の時に聴いていた金曜日のラジオ・オールナイトニッポン。その番組は日本のインディーズバンドを紹介しており、オレは週末の深夜、ありきたりの大衆音楽とは一線を画す最新のカッコイイ曲と巡り合えるのを楽しみにしていた。そんなある日、ハイスタのギターがプロデュースしたバンド、ということでハスキンが紹介され、その代表曲である「WALK」がオレのCDラジカセから流れた。メジャーコード全開のギターに、振り絞るように歌う声、今まで聴いていたメロコアバンドとは違う、哀愁さえ漂う情緒的な曲調。オレのハートは震わされ、その衝動そのままに翌日、すぐに近くの「Groove!」というCDショップで1stアルバムを予約した。アルバム発売後、ハスキンは瞬く間に人気となり、チケットの入手も困難となった。
そんなハスキンを初めて目の前で見ることができる。否応なしにオレの鼓動は高まった。前へ、前へと人波をかきわけてポジションを取る。今度発売するアルバムからの新曲からスタート。と同時に歓声を上げる観衆。負けじと参戦するオレ。汗と泥と他人の唾液にまみれながら、「エモい」曲を体全体で受け止め、叫び、飛び跳ねた。
演奏終了後、オレのTシャツは「かめはめ波」を受け止めたかのように湯気が煙のようにもくもくと立ち上っている。それは活動限界を示すものだった。
「さすがにしんどいわ…。なんか食べようぜ。フェスのTシャツとかも買いたいし」
オサムとタイヨウにしばしの休息を提案する。
「次のバンドは…『くるり』か。まあ知らんバンドやしええんちゃう?」
物販ブースに移動する3人。フェスのTシャツを買い求めた後、長時間保温機に寝かされてパサパサになった焼きそばを、只々生きる糧としてほおばり、どぶづけに入れたばかりのぬるいコーラで勢いをつけて一気に腹に流し込んで満足感を高める。そうこうするうちにステージの彼方ではくるりの演奏がスタート。移動する気力がまだ湧かないまま、耳だけをステージの方向にそばだてて音を吸収する。
メロウ・キャッチー・ベタなコード展開というありきたりなJ-POPをやるのだと勝手に想像していたが、響いてきたギターの歪みがその思いを打ち消した。
「…あ。くるりって良いんじゃね?」思わず口に出る。
(ひらがなのバンド名だからって、最初からロックじゃないとか変な理屈つけて聴かず嫌いにしてしまったんじゃね?)心でつぶやく。
直感の通りだった。フェスはくるりが「TEAM ROCK」というアルバムでブレイクするほんのちょっと前の出来事。くるりが半年後、メディアにじゃんじゃん登場していくにつれ、なぜあの時ステージに行かず優雅にランチタイムを満喫していたのかとと大いに後悔することになるのだが、知識が追い付いていないニワカな3人は知る由もなかった。
兎も角、甘酸っぱい経験を積んだオレたちは、次のSHERBETSとエレファントカシマシの参戦に向けてステージへ移動した。SHERBETSは当時、人気のピークに達していたブランキー・ジェット・シティの浅井健一のソロプロジェクト。ステージでは難解で悲し気な曲ばかりであったが、グレッチが紡ぎ出す乾いたテクニカルなギター音を生音で聞けたことに感激した。アップテンポな曲は披露されなかったので、絵画を鑑賞するような心持ちで演奏を聴いた、という感じか。
次のエレカシでは、最新アルバムを予習していたためハスキンと並ぶくらいにテンションを上げ、「悲しみの果て」や「ガストロンジャー」などのメジャーな曲でモッシュし、持久力の有酸素運動と瞬発力の無酸素運動を繰り返した。そして、オレはまたここで活動限界を迎えたのであった。
「次はsugar soulかあ。オレR&B系苦手だから後ろで休んでるわ」
ステージの盛り上がりに水を差すようなセリフを吐き、少し不満げな2人の表情を半ば無視しつつ、重い身体を引きずってその場を離れるオレ。この時代、Dragon ashや宇多田ヒカルに代表されるヒップホップやR&Bのジャンルが音楽シーンを席巻していた。当時パンクロックを音楽だけではなく社会学や哲学を含めて好きだったオレは、何の思想信条もなしに単に流行っているからという理由で大衆が飛びつく音楽を毛嫌いしていた。sugar soulはDragon ashとフィーチャリングした「garden」が大ヒットしている最中。同じ日にフェスに参加しているDragon ashとその曲で絡むという噂もあり、観客が堰を切ったように押し寄せるのが安易に想像できた。
広場で寝そべっているうちに、晴天を衝くほどの明るさを保っていた空はいつの間にか鉛色に染まり始め、風も吹き始めた。
(雨降りそうだなあ…)
気温も下がり、肌をなでる風心地よさを感じていたころ、sugar soulのライブはアカペラ調で静かに始まった。
Load up on guns~♪
(う~ん。なんやろ。どっかで聴いた音やぞ。オレが好きっぽい。でもアレンジが強すぎて思い出せんな~。)
Hello,hello hello,hello how low~♪
(あああっ!ヘローヘローって!こ、ここここ、これって!)
ウィザーライナアーあああ(With the lights out)~♪ イジデンジャーアーあああ( it's less dangerous)~♪
(だ、だだだ大好物の!NIRVANAのっ!「smells like a teen split」やん⁉)
おおおおっ。
駆け出す。その歌をがなりながら、オレは2人を探すために全速力で走りだした。
まさかパンク系の曲をシュガーソウルが歌うとは思いもせず、聴かず嫌いから来る後悔の念と、見事なアレンジを聴いた感動とで全身が湧きだっていた。
2人を見つけ、上気した顔で近づく。
「今の曲NIRVANAだった!sugar soulやべーって!」
興奮してキラキラな目をして騒ぎ立てるオレを、オサムとタイヨウは「ニワカめ…」と呆れながら迎え入れる。そしてそのまま群衆に紛れ込むオレ。いいんだよっ!自分の心が震えれば!ニワカ最高!ポーザー最高!フェスの恥はかき捨て!
それからはもう固定概念を消し去ってsugar soulの世界に酔いしれた。
そして、最後の演奏であるヒット曲「garden」の時に、忘れられない出来事が起こった。
Dragon Ashの降谷建志が途中から出てくるというのは想定の範囲で、そう思ってても、やはり登場と同時に歓声が轟く。
と、同時に、それまでいつ降り出すか分からないほどにどんよりとしていた雲が割れ、隙間から一筋の光が現れ、徐々にオレたちを照らし始めた。
虹が差し込んだのだ。
♪さあ みんなここに 愛の庭に
♪終わりのない 闇を抜けて
♪名も無い花に 雲は語る
♪さあ みんなここで 感じたまま
…まるで、曲の演出に合わせたかのような自然現象。
その時、会場は真に「愛の庭」となった。
うわ。
sugar soul。歌詞そのまんまに…女神になったよ。
すげえ。
ぶわわっ。と、泡立つかのごとく、両腕に鳥肌が立つ。
「空に蒔いた悲しみで咲いた名も無い花」はオレたちのことを言ってて、今光射している虹は、「未来へと歩いて行く道」を、きっとオレたちに「照らし出している」んだ!
純粋な若者が信じる歌詞の世界と現実との世界が融和した瞬間。温かくて、嬉しくて、楽しくて、面白くて。そういった全てのポジティブな感情が身体中にみなぎってきた。経験したことのない異世界にワープしたような感覚。その感覚は20年以上経った今でも心に染みついて忘れられない。
その後、ZEEBRA、ラッパ我リヤ、そしてDragon Ashとフェスは続き、どれも存分に堪能したのだが、このフェスのクライマックスは「garden」のワンシーンだった。青春の残滓となった貴重な3日間を、只々若気の至りという免罪符を使ってオレとオサムとタイヨウは全速力で駆け抜けていったのだ。フェスの帰り道はお盆渋滞と眠気と疲労で修羅への道ではあったが。
…あれから既に二十年以上が経った。フェスに参戦したオサムとは現在、コロナ禍の中ではあるが出張でこっちに来た際はあのころの話を肴に、学生時代に戻って後先を考えずに痛飲している。タイヨウはそれから十数年後に不慮の事故に遭って既にこの世界にはいない。でも、このフェスでも演奏され、アイツがメアドにするほど好きだったHUSKING BEEの「Sun my self」を聴く度に、命を燃やしていたひと時を思い起こすができる。こうやって書いている時も、タイヨウはオレの中に生き続けている。
2021年春のフェスでは緊急事態宣言の最中、人数を絞って開催したものもあれば寸前で断念したものもある。日々先が見えず、降り続くネガティブな情報の陰雨に心が湿りっぱなしの中で、あの時のように曇雲が割れて虹がまわりを照らす未来が、きっと来るはずだ、とオレは信じている。
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