【深夜の映画感想:ブエノスアイレス】私たちはかつて愛した恋人との記憶と共に生きていく。どんな思い出だとしても、『ソレ』が今の私を作り上げた
前回、前々回と続き今回も王家衛作品についての感想を書く。私と同じくこの作品や彼らのことを大切に思う人が、ぼけーっと余韻に浸りながら「そうだよな〜わかるわかる」とニヤニヤしてくれたら嬉しい。
投稿した今日(9/12)はレスリー・チャンの誕生日。会いたければ会えるこの世界からお祝いの言葉を贈ろう。
作品概要
題名 :『ブエノスアイレス(春光乍洩)』
制作年:1997年
監督 :ウォン・カーウァイ
線香花火のような2人の愛は
1組のカップルの間で繰り広げられる不器用な愛が描かれている『ブエノスアイレス』。彼らは互いを傷つけ合い、何度も離れようとしたが「やり直そう」という言葉で元に戻ることを繰り返している。
レスリー・チャン演じるウィンのように、欲に忠実でいつか逃げられてしまいそうな雰囲気、そしてたまらなく愛おしい愛嬌爆弾な人を好きなると沼って抜け出せない。ファイの気持ちが痛いほどにわかるような気がした。
そんな2人の愛は、まるでバチバチと広がる線香花火のように激しく燃え、ぽとんと地面に落ちて悲しく消えてしまうのではないか。予告やあらすじからそんなことを想像していたので、今まで本作の鑑賞を避けていた。
私は普段から重ためな雰囲気の映画を避けがちだ。もちろん全く見ないわけではないのだが、感情移入しやすい性格上、ある程度の覚悟を決めておかないと心がすり減っていくような気がするから。
だが、せっかくの機会なので、朝の初回上映時間、開館前の映画館で待機するほどに気合を入れて観に行くことにした。
そして前夜の寝不足も忘れてしまうほどに画面に釘付けになった。(ファイが鏡を割るシーンの音が良い目覚ましになったのかもしれないが…)
良い意味で期待を裏切ってきて、王家衛作品の中で一番好きかもしれないと思う程だった。
彼らの愛はその瞬間で消えてなくなってしまうようなものではないのだから。
過去も未来も共に幸せでいよう
原題は『春光乍洩』で英題は『Happy Together』。それに比べると邦題の『ブエノスアイレス』はあまり言葉の温かみを感じない上に、ひねりがないような気がする。
だから私は彼らの愛や生き方、生活が溢れ出す邦題以外の方が好きかもしれない。傷つけあってばかりだったあの時間も結局思い返せば、一緒にいれるだけでよかったのだと。
また、『春光乍洩』の意味を理解しきれていないこともあるだろうけれど、特に英題は私を惹きつけて離さない。
学生時代から英語を学ぶことに苦手意識を感じていた私でもこの意味は理解できるほどにシンプルだ。
話の内容からして「あまりにもポップで単純過ぎなではないのか?」なんて違和感を感じたこともあったが、今ではとても気に入っている。
だって鑑賞前と後ではその言葉の重さが大きく異なるのだから。まるで2人の恋愛が幕切れとなっても、その事実はなかったものにはならないと伝えられているかのようだった。
よく過去の恋愛について「女性は上書き保存で男性はフォルダ保存だ」なんて言うけれど、基本的に人間の頭はフォルダ保存式なんじゃないかと思ってる。だって、上書きしようとしても恋人との記憶は完全に消すことなんてできないから。
2人の強烈な愛は終わりを告げた。
トゲトゲと鋭い光を散らして終わりを告げたその線香花火の種もアスファルトに吸い込まれていった。
けれど幸せな共通の過去の記録は一生残り続けていく。
そして「Happy Together」というこの言葉には様々な場面を思い起こさせる。
傷だらけでも2人でいれば幸せだった。
同じ時を一緒に生きた。
離れた後も、同じ過去を抱えて生きる。
彼らの間で何度も何度も交わされた「やり直そう」という会話。
薬も飲みすぎると効きにくくなると言うように、彼らの関係を修復するためのクスリは
その傷口に効果をもたらさなくなってしまった。
エンドロールの後の2人も、どうか幸せであってほしい。そう願いたくなるほど不器用に生きる2人だった。
そして今この時に気づいてしまった。
人の心を独り占めすることなんて、自分が思っているよりもだいぶ難しいみたいだと言うことを。
理想と現実とイグアスの滝
それにしても大画面の4Kで見るイグアスの滝はとんでもない迫力だった。すごく単純な言葉で表すと、吸い込まれそうなくらい大きくて綺麗だった。
私もイグアスの滝へ行きたい。
そこはランプにある絵の様な綺麗ではなかった様だけれど、現実はそういうものだと思う。
まだ『ブエノスアイレス』を劇場で観ていない人は是非観に行ってほしい。過去の作品を映画館で観るだなんて、願っても叶うことの方が少ないのだから。
※U-NEXTに加入している人はこの作品の裏側が描かれたドキュメンタリーも配信されているので是非。