修士論文の発表も全て終えたので、そろそろ、復帰したいと思います…今まで少し固い話が多かったので今後は気楽にゆるやかにいきたいと思います…
9月上旬。夏の暑さがまだ去らない日。僕は、電車で都心から2時間以上かけて、千葉県銚子市に向かっていた。車窓から見える風景は、都心から離れるにつれ、緑に変わっていく。それと対称的に、黄金色の稲穂が揺れていた。 銚子駅についた。休日だが、駅前は物静かだった。まるで自分以外がいないような感覚になる。空は嫌という程の快晴。駅前の観光案内所で、パンフレットをもらう。あてどなく、海の方向に歩を進める。 銚子は、千葉県の東端にあり、日本でも有数の水揚げ量を誇る港町だ。港町というと
注:これはまだ、思考になっていない思考以前の断片集です。だらだらと読んでいただけると嬉しいです。 7月某日 レッドアロー号に乗って秩父から帰る。秩父にはよく行く。単に秩父の街並みが好きだということもあるが、研究も兼ねていく。その日も、フィールドワークっぽいことをした気になって、帰る。西武池袋線は、飯能を過ぎたあたりから住宅街になってくる。レッドアロー号から窓の外を見る。夕陽が家の屋根を照らしていた。ポツリポツリと灯りがついている。みなが家路を急いでいる。 この灯りひと
柄にもなく、固いことを書いてしまったので、次の投稿は緩めのものにします
注:今回は、前回の投稿の続きです。また、今回も多少デリケートな内容を含みます。ご注意ください。ざっと内容を読むのであれば、太字を中心に読んでいただければ幸いです。 前回の投稿では、共感の特性である「情動的共感」、人間の思考システムについて心理学に知見などを借りながら考えた。 少し前回を振り返る。共感には、他人が経験している(と思われる)ことを自分も経験してしまう「情動的共感」と相手がどのように感じているかを理解する「認知的共感」があったのだ。そして、SNS時代は「情動
注:お久しぶりです。最近かなり忙しくて、ノートを書けませんでした。今回と次回は多少デリケートな内容を含みます。ご注意ください。ざっと内容を読むのであれば、太字を中心に読んでいただければ幸いです。 その日、僕は友人数名と居酒屋にいた。学生ということもあり、格安居酒屋しか利用できず、あちこちで大きな声が飛び交う中でお酒を楽しんでいた。その時、僕たちの隣のテーブルで飲んでいた一人の若者が語気を強め、こういった。 「それを嫌に思う人もいるかもしれないじゃないか!」 どうやら、
こんばんは。少し研究やらなんやらに追われてここひと月ぐらい何にもできない状態でした。また、ぼちぼちノートを再開しようかなと思うので、もしよろしければ…
GWということもあり、地元に戻った。 長い連休の中で、何度か「小田原」に行く機会があった。 この街との付き合いは長い。物心ついた時には、小田原城の遊園地(その当時はメリーゴーランドもあったり、象もいたりした)などに何度か連れて行ってもらったことがあるが、本格的にこの街に通いだしたのは高校生の時からだ。 高校はこの街の付近にあり、部活が終わった暇な時には駅の周りでよくだべっていた。今でも、地元の友人と飲む時には小田原で飲むことが多い。 僕が高校に通っていた時から、再開発
(注:今回は長い上に、少しふんわりとした内容です。だらだらor太字だけご笑覧いただいければ幸いです。もし何かあれば、コメントやスキなどお願いします笑) 雨が降る4月の上旬。寒いので、コップにコーヒーを注いで、飲む。 コップには、取っ手がついている。僕は、コップを手に取って、コーヒーを飲む。 この一連の動きを振り返ると、ふと、思うことがある。「僕がコップを取ったのではなく、コップが僕に手を取らせるように仕向けたのではないか?」 昨今、「デザイン」という言葉が一般化してい
(注:就活やらなんやらに苦戦しているため、久しぶりの投稿になってしまいました…すいません…例に漏れず、長いので太字だけ、または適当に読んでいただければ幸いです) A「ん〜、じゃあ、私はBくんのママね。」 B「え〜、やだよ〜」 A「いいじゃん!何食べたい?私が作ってあげる!」 春がきたのかどうか分からない、生暖かい昼下がりの公園。こどもたちは「おままごと」をしていた。Aちゃんは泥をこねて、特製のハンバーグを一生懸命こさえていた。しかし、突然、手を止めて、顔を上げた。
(注:例にも漏れず、長いのでだらだら読むか、太字だけ読んでいただければ幸いです…) NHK制作『ネコメンタリー』という作品を観た。 この番組は、ネコとそのネコを飼う人物にフォーカスを当てたドキュメンタリー番組だ。 ネコや犬は通常「ペット」と呼ばれるものだ。しかし、この番組に登場する人たちは、ネコを「ペット」などとは呼ばない。基本的には「家族」とみなしている。 ここからわかることは、「家族」というのは、「血縁関係がある」という事実からのみで形成されるものではないということ
(注:前回の投稿から間が空いてしまいました…申し訳ありません…また、少しばかり長くかつぐちゃぐちゃなので、だらだら読むか、太字だけ読んでいただければ幸いです。) 前回の投稿では、笑いの認知心理学的な側面として、「スキーマ」と「スクリプト」という視点から論じた。 今回は少し離れて、1990年代からのお笑いに関するごく私的な歴史について述べたい。 なぜ、1990年代か?一つは、1980年代の漫才ブーム以後であると言うことである。1980年代は、現在もお笑い界の頂点に立つとさ
(注:今回は、長い上に結構抽象的な部分も多いので、ダラダラ読んでいただくか、太字だけ読んでいたただくか、何かコメントをいただければ幸いです) 「笑い納め」や「笑う門には福来たる」という言葉に代表されるように、年末年始はお笑い番組が多い。 僕は、こたつにこもりながらボケーっとみていた。あんまり普段は、見かけることが少ないネタ番組に頬を緩ます。しかし、ふと思う。「なんで、自分は笑っているのだろう」と。 そこで、思ったのは「笑い」とは「エラーを見つけ、それを処理できたことによ
(注:例にも漏れず、長いのでだらだら読むか、太字だけ読んでいただければ幸いです…) 今年の夏。僕は、新潟にいた。お目当ては越後妻有トリエンナーレ。各地に点在する現代アートを1泊2日で見て回った。 その中で、僕が一番胸を揺さぶられたのは、フランスの芸術家クリスチャン・ボルタンスキーの『最後の教室』というインスタレーションだ。 この作品は、廃校になった旧東川小学校を丸々作品に変えたものである。ボルタンスキーのテーマは一貫して、「忘れ去られようとする/想起されたこともな
(注:例にも漏れず、長いのでだらだら読むか、太字だけ読んでいただければ幸いです…) 東京の夜の街を歩く。街には夜遅くまで多くの人たちが行き交う。身体にタトゥーを入れている人やピアスを開けた人が横目を過ぎる。かたや、インスタグラムやツイッターに載せるために自分の身体と流行りの商品を画角に収めようとポージングを繰り返す人たちがいる。 街には、いろんな「身体」のあり方がある。言うまでもなく「身体」は人間が活動する上でベースとなるもので、かつては自分が自分であることの証明であ
(注:少し長いので、だらだら読んでいただくか、太字だけ読んでいただければ幸いです。) 2018年ももう終わる。平成がもう少しで終わり、再来年には誰が望んでるかわからないオリンピックが待っている。もうすぐ10年代が終わってしまう。 23歳のぼくにとって、10年代は何か「ぎこちない」ものに映った。「居心地の悪さ」などでは決してなく、「ぎこちなさ」なのだ。そして、ぼくは「ぎこちなさ」を快感とし、それを享受してきた一人なのだと思う。 なので、ここでは、10年代を「ぎこちな