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夢と、インターネットと、酒 │ 映画「パプリカ」リバイバル上映 感想
死ぬほど酒を飲んだ日は、自分を中心に空が回る感じがする。歩いている人、転がってるゴミ、看板。
一緒に寝転がりたいな〜と思いながら帰路につく。なんかこれ、パプリカのパレードシーンに似ているな とふと感じたことがあった。
今敏監督の生誕祭として満を持してリバイバル上映された「パプリカ」。
高校生の頃、何度もTSUTAYAで借りて見ていたことを思い出す。
当日は、木曜の夜だというのに満席だった。
劇場に入るとすでに「白虎野の娘」が流れており、感激。平沢師匠の音楽を劇場で聴けるのも本当に嬉しい。
最高のOP
パプリカはOPが良すぎる。怖いくらいに良い。
都会の街を飛び回るパプリカと、平沢師匠の白虎野の娘が流れる。
ディスプレイからリアルへ、ファストフード店のウィンドウから店の外へ、自由自在に移動するパプリカ
背景に溶け込むように出てくるクレジット
ラストで車を運転するパプリカから敦子に切り替わり、パプリカ=敦子であることを一瞬で観客に認知させる
すべてが圧巻。正直この日一番泣きそうになったのがOPだった
大画面の妄言
ミームでも有名になっている「オセアニアじゃあ常識なんだよ!」をはじめ、発狂しながら所長が夢に支配されはじめていくシーン。
パプリカのビキニより、DCミニの回収に漕ぎ出すことが幸せの秩序です。
五人官女だってです!
カエルたちの笛や太鼓に合わせて回収中の不燃ゴミが吹き出してくる様は圧巻で、
まるでコンピューター・グラフィックスなんだ、それが!
総天然色の青春グラフィティや一億総プチブルを私が許さないことくらいオセアニアじゃあ常識なんだよ!
これを映画館で大音量・大画面で浴びた私は、気持ち悪いというよりもむしろ
「あれ?この文を理解できない私の方が異常なのかも?」
と感じてしまう。
所長の夢に侵されかける。
抑圧された意識が表出する場
パプリカと粉川がRadio Clubで待ち合わせをし、話すシーン。
パプリカのセリフがずっと頭に残っている。
「抑圧された意識が表出するって意味だと、夢もインターネットも似てると思わない?」
私はリアルな夢をあまり見たことがないし、今考えていることが夢にでたり、死んだ人に会えたり、夢に欲望っぽいものも感じたことがない。
かといってインターネットに押さえ込んでいる感情が表出するってわけでもないし…
わたしの意識表出の場ってどこだ?
あ、酒だ
めいっぱい酒を飲んでいると、
言わなくてもいいこと、言わない方がいいこと。
しない方がいいこと、普段絶対しないこと。
全部表出したくなってきてしまう。
もちろん、毎回酒を飲んでこうなるわけではない。
一方で、かなりの確率で、「あ、今自分酔っ払ってって変なこと言ってるな」みたいに自分を上から俯瞰しているかのような目線になることはある。
粉川も、パプリカと待ち合わせをする時 Radio Clubというバーで酒を飲んでた。
物語終盤で自分のトラウマと向き合う時も、ウイスキーのロックを「もう、おやめになったほうが」とバーテンに促されるくらい飲んでいた。
もしかしたら、粉川の意識表出と客観視は、インターネットでも夢でもなく、酒によってできていたのかもしれない。
DCミニは、まさに夢の機械。
しかし、それを「夢物語」としてだけでなく、妙に自分のそばにあるような居心地の悪いぐにゃぐにゃとした実像として感じられるのはきっと、こういう奇妙な共感が生まれているからなのだろう。
「これって、なんだかミステリー?」