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『カセットテープ・ダイアリーズ』 〜これは僕のブルーハーツだ
久々に、ロードムービーでない映画を見た。ま、ウルトラ広義で言えばこれもロードムービーだが(というか、ロードムービーでない映画などあるのか?)。
1987,88年のイギリス、ルートンという町。
パキスタンからの移民二世として暮らす17歳の少年、ジャベド。
消えきらぬ差別、貧しさ、父(民族性)との対立。
息苦しさに包まれていた中、ひょんなことからブルース・スプリングスティーンの音楽と出会う。
この出会いの衝撃、そして同じく”ブルース”を愛する友達がいることの喜び。
これは、音楽に救われた人なら共感できるところだろう。
僕にとってのブルーハーツ、セックスピストルズが、彼にとってのスプリングスティーンなんだ。
ブルースこそが真実、ブルースこそが答え。 圧倒的な光。
が、そこで終わらないのがこの映画のすごいところ。
若者は、衝撃を受け、自分の世界を見つけたら、親との断絶が起こる。
僕だって、パンクを聴き、メタルを聴き、バンドを始め、親との共通の世界から抜け出してしまった。それもみんな通る道。
漫画『ボーダー』にはっきり言葉で表されている。
主人公蜂須賀が、なぜ親を捨てて生きているのかを問われた時の言葉だ。
「人間が一念発起すれば宿命的に親の理解から外れる 敵対さえするものさ
(中略)ならば俺は《親不孝》を選ぶ」
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これに限った話ではなく、「エディプスコンプレックス」「親殺し」などと調べればそういう話はたくさん出てくる。もはや定説だ。
けど、僕は親を愛しているし、親を捨てられなかった人間だ。
ジャベドも、出自を、故郷を捨てるのではなく、親を、自分の血を、故郷を愛しながら旅立つことを選ぶ。
父も自分も同じだと。父の中に自分がいて、自分の中にも父がいるのだと。
自分が育った生き苦しいこの町も、自分を育てた町なんだと。
それを認め、愛情を受け止め、和解し、祝福されながら町を旅立つ。
捨てるのではなく、帰ってくるために旅立つのだ。
そこが、僕はとても好きだった。
僕も、ブルーハーツが答えだった。すべてだった。
けど、ある時、そうじゃなくなった。
否定するわけではなく、それはそれとして、自分の考えを持つことができた。
それが、本当に血肉になったということだと思う。
余談ですが、父親(もちろんパキスタン人)が、うちの父親に顔が似ててそこも感情移入してグッときたポイントです(笑)。