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占いの利用法

「今日のラッキーカラーは?」

学生時代に訪ねてきた高校の友人3人連れにカフェでおもむろに聞かれた。
「あ、家にいる時や休みの日には、あまり気にしていない時もあるよ」と応えると、「なぁんだ、3人でJacquelineの今日のラッキーカラーを当てようと賭けていたのに!」と言う。
なぜ、彼女たちがこんなことを言ったかと言うと、わたしの占い好きを知っていたからだ。中高と愛読していた占い雑誌の出版社が経営するショップに行くのに付き合ってもらった人も、その中にはいた。

その日のラッキ―カラーは、服装やメイク、アクセサリーや持ち物の小物などを選んだりコーディネートをする際に、参考にすると便利なのだ。もちろん、TPOに応じて、その限りではない。たとえば、葬儀に参列する日に、赤やピンクが出ていても、そんなカラーの服装やメイクをするわけはない。せいぜい、ハンカチやペンなどをバッグに忍ばせるぐらいで、人前で取り出すハンカチはそれとは別にモノトーンのものを持つ周到さと常識ぐらいは持ち合わせている。

その日のラッキーカラーやラッキーアイテム、モチーフ、食べ物等々……色々と読み比べていると、占い師の方によっても様々で、6ー8色ある日もあるので、真偽の程は?とも思うが、たとえば、青とアクワブルーとネイビーと同系色で出ていたら、合わせやすかったりする。

色々な占い師の文章やプロフィールを見ていると、なかには「文筆家」という肩書きも載せられている方もいて、ああ、なるほど、「読み物を執筆している」というケースもあるのだなぁ、と。たしかに、時々、心に深く刻まれたり、気持ちを揺さぶる言葉使いや文章を記される方もいらして、それは、占い以上に読み物としても心に栄養を与えるもので、何度も反芻したくなるものだ。反対に、ごくたまーに占いでネガティブな内容ばかり記されている方の文面にあたる場合もあるのだが、基本的にそういうものはあまり信じないので、静かに閉じてThe end。

占いを読むのは好きなのだが、大枚はたいて占い師の方のところへすがり付くということはない。
1度、やはり懸賞応募のひとつで3千円ぐらいのコースが当たったことがあり、東京・新橋だったかの占い師さんのところに行ったことがある。それもおそらくお試しみたいなもので、よかったらリピーターになってもらうことを期待しての無料占いだったのか?と想像するが、これは!という驚きや感触も感じられなかったので、占い師さんには残念ながら、リピートはしなかった。

イタリア語でも占いは読むが、やはり占い師さんによって文章の傾向・文体が分かれる。この人は抽象的なことばかり記していて、結局何が言いたいのかよく分からないという場合もあれば、この人の文章はエスプリが効いていてなかなか面白いということも。イタリア語で占いを読むのも、言葉の使い方や語彙などを増やす勉強になる。

コロナ以降、最近はあまり見かけないのだが、イタリアのテレビの地方局で、テレビショッピングや占い番組をメインに放映していたところがいくつかあった。全く面白い番組がない際にチャンネルザッピングをしていて見つけたのだが、面白い番組がない時の助っ人として、時々、視聴していたものだ。だいたい、オンエアで公開無料電話占いをしていて、ひとりにつき尋ねたいことはひとつに限られているのだが、なかには欲張りな人もいて、無料で何件も占ってもらおうとしていたりもする。そういった時に見せる占い師の方の度量の大きさ、もしくは、さっさと電話を切ろうとする態度、はたまた、欲を出した相談者に浴びせる暴言に近い言葉で、その人となりが見えるというものだ。そういった面を観察しながら、人として良質な占い師を見つけるのもなかなか楽しいものだ。
でも、だいたい何を聞いても、「6ヶ月後には……」と言うので、それならばわたしにも言えるかと。
人が良いかどうかは別にして、富裕層をターゲットとしたクリストファーという名の占い師さんがいて、オープニングに流れるプロモーションビデオでは、モナコのモンテカルロのホテルにポルシェで乗り付ける彼の姿が映し出されるのだが、占い師というよりはビジネスコンサルタントのような風情である。最低相談価格も他と大きな差があるとのことだが、「それが無理な方ははじめからコンタクトを取らないでください、わたしにはその価値がありますから」となかなかのブランディング。

知り合いのイタリア男子にも占いをしていた人がいる。彼が10代だった当時に「占ってあげようか?」と言われたが、知っている人、しかも、そんなに若いコに占ってもらうのは嫌だったのでお断りした次第。

実は、日本で親しくしていた友人ふたり(冒頭の友人たちとは別の人)に、別々な機会に、「あなたはなんだか占い師みたいな雰囲気がある」といわれたことがある。近しい人たちだったので、彼女たちの深い相談事や悩み事にも耳を傾けていたため、占い師のようにそういったことを話したくなる、話してもよいという存在という意味だろうか。
占えるほど本格的な勉強はしていないが、たまたま身近な人たちの運勢で良いことが書いてあれば教えてあげたくなる、好運お知らせ人ではあると自負している。



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