あれは拍手か、軍靴か、それとも業火の爆ぜる音かーー映画「オッペンハイマー」
0.子ども達の記憶
9歳。わたしは膝を立て、その隙間に顔を埋めて、カーペットの毛ばだった表面をじっと見つめる。絶えず悲鳴とうめきが聞こえる。同級生の、どうしたの、ちゃんと見なきゃ駄目じゃん、と無邪気に私を糾弾する声も。うるさい。本当は今すぐ耳も塞いで、こんなところから逃げだしたい。冷たい汗がこめかみから伝い、ひざと太ももの間を濡らす。
みんなが見上げるテレビ画面の中では、人間が、燃えて、溶けて、抉れて、爆ぜている。
空気圧に耐えきれず目玉が飛び出す。血液が黒く爆ぜる。熱風に皮膚が焼けめくれ、ぼろ布のように引きずる。血膿のわいた傷口に真っ白く太った蛆がたかる。水を飲んで人が死ぬ。
炭となった人間。輝く針鼠のごとく硝子の突き刺さった背中。毒に汚染され嘔吐する子。
――――地獄だ。地獄が映されている。
「ねえ、どうしたの。ちゃんと見なきゃ」
うるさい、うるさい、うるさい。なんで皆は見られるの。恐ろしくないの。
私は嫌だ。見ていられない。こんなことが本当だなんて。絶対に顔を上げない。
私は汗をかいたまま、膝の間からカーペットを見つめ続ける。化学繊維の糸が光に透けている――どんなに目をそらしても、人々の悲鳴からは逃げられない。
そう、思えば彼は実に教育熱心な教師だった。
若くて情熱溢れる青年だった先生は、おそらく反戦教育の一環として、私の所属するクラスの子ども達に「はだしのゲン」というアニメ映画を見せた――――効果は、少なくとも私のような生徒には絶大だった。その後二週間、怯えながら不眠になるくらいには。
以後私は、"原爆"と聞いただけで凍り付くほどの恐怖を覚えた。高校の修学旅行で広島の原爆資料館に行ったときも(まだ改装前のものだった)、本当に嫌だったのに、被爆した人の姿を再現した蝋人形の前で立ちすくんでしまった。
こんなに酷いことを、どうして同じ人間がやれたのだろう?
そういう恐怖と疑問を隠して、善良なる市民の顔で戦争反対について語れるようになるのは、成人してからのことだ。人生には恐怖に凍っている暇など無いことがいくらでもある。しかし『それ』は私の中に確かにあった。
だから最初は映画「オッペンハイマー」を見るつもりが無かった。アカデミー賞で激賞されようが、戦勝国の映画と揶揄されていようが、通り過ぎるつもりでいた。
今回観に行ったのは、私と同じく映画好きの友人が激賞していたことと、休職中で暇があったからだ。そうでなければ私は9歳の時と同じように、9歳の時よりもはるかに無感覚に、この作品を通り過ぎただろう。持つべきものは友である。
そうして映画館という暗闇の中で3時間、私はオッペンハイマー氏の物語を目撃した。
正直に言おう、観てしばらくは言葉が無かった。あまりにも多い情報、あまりにも足りない自身の知識、そして恐るべきは主人公に自分が共感した瞬間があったことに圧倒されていたからだ。
そしてノーランの企みは、私という観客に対して正しく作用した。
私はこの物語について考え、書き残し、発信しようと思った。それが誰の目に止まらずとも。まさしくそれこそ、監督の求めていた反応だろうと思う。私は二時間以上かかってパンフを読み終え、その手でこの感想の下書きを練りはじめた。まんまと乗せられたのだ。
以下は映画「オッペンハイマー」を観た一個人の感想と考察である。どなたかのお目にでもとまれば幸いだ。全文にわたり、本編およびパンフレットのネタバレを含む。
1.知の追究と、罪を見つめることは両立するか?
「オッペンハイマー」あらすじ
第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」。これに参加したJ・ロバート・オッペンハイマーは優秀な学者達を率いて世界で初となる原子爆弾の開発に成功する。
しかし原爆が実践で投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。冷戦、赤狩り――激動の時代の波に、オッペンハイマーはのまれてゆくのだった――。
物語は小部屋で詰問されるオッペンハイマー博士が、自分の人生を述懐するところから始まる。若くて優秀だが実験は苦手な物理学青年は、神経衰弱のあまり毒入りの青リンゴなぞ作ったりする。
くりくりのブルネットと青い眼のかわいい顔をしておきながらお前は何をやっているんだと突っ込みたくなるが、青酸カリ入りの毒リンゴを見た瞬間、ある『象徴』に思えて私は次にノーランの肩をゆさぶりたくなる。「ねえこれって彼の大変な将来の暗示?ねえ?」
キリスト教で最も有名な罪、それは知識という名のリンゴである。関連して私は嫌な記憶を思い出してしまった――コンピュータの父、アラン・チューリングの死因は、青酸カリ入りリンゴによる自殺である。あれだけ偉大な業績を残しながら、失意の中に亡くなる(彼についての映画「イミテーション・ゲーム」は名作であった)――――。
幸運にして毒入りリンゴは何とか誰の口に入ることも無い。
ほっとしたのもつかの間、彼は美しく幾何学的で、それでいて無限の可能性を秘めた物理学の研究に没頭していく。その様子は長ったらしい数式で示されるのではなく、文系の私にもごくわかりやすく、そして何より共感できるように、美しい火花と、螺旋、色のイメージ、それから音楽で表される――――そう、これがこの映画第一の驚きであった。
学問に没頭すること、その楽しさ、美しさ、酩酊感、渇望さえ、ノーランはみごとに「感覚的に」観客へ訴えることに成功した。なにかに夢中になったことが一度でもある人なら、映画のこのシーンを観れば主人公に共感することが出来るだろう――「ああ、わかるよ、ああいうときって本当に楽しいんだ、まるで永遠に遊んでいられるみたいに!」。
だが夢には終わりがつきものである。彼の極彩色の夢に、つめたい影の可能性が浮かぶ。 彼はその影を、けして振り払えないと予感しつつも、一縷の希望にすがって偉大な物理の先達に問いかける。
「爆発が大気に引火して連鎖し――地球自体が危うくなるかも」
「では今すぐナチスとこの結果を共有しなさい。この紙は返す。君のものだ」
おそらく歴史上で最も有名な人物の一人であろうアインシュタインは、この映画の中で預言者的な役割を果たす。二人のシーンに映画『風立ちぬ』の堀越二郎とカプロ―ニを思う方もいるだろう。映画の中ではこのように、繰り返し破滅が示唆される。
大人で、研究者で、そして戦時中である以上、"夢"は実現たり得るもの、そして責任をとれるものでなければならない。懸念は開発の熱狂に一蹴され、しかしオッペンハイマーの背骨に暗く響き続けながらも、数多の試行錯誤を経て、原爆は完成する。
そして試験投下の夜明け――――ひとびとは、神の炎を目にする。
このとき、バンカーの窓越しに火柱をみつめるオッペンハイマーの横顔は象徴的だ。
およそ考えられないほどの炎と光が織りなす光景に音はなく、ただただ立ち上る火柱に圧倒されながら――ふしぎなことに、その横顔には歓喜も畏怖も浮かんでいない――ただ「決定的に世界は変わった」ということを呆然と見つめているようにも見える。
けして彼自身の眼では直接に見られない炎、黒い色眼鏡越しにしか見られない"神の火"――イカロスは太陽に近づきすぎて羽が溶けて死んだ、では"神の火"を手にした我々はいかに死ぬのか――潰れていないオッペンハイマーの青い瞳には、それが見えていたろうか?
自らの知の追究の結実が、あのすべてを焼き尽くすものであると。
永遠にも思える無音と業火の後、世界が爆発する音と衝撃が私達をなぎたおす。
「ピカドンじゃ。皆あれをそう言いよる」
私の中の9歳の私と、広島の少年が、そう呟いて、怯えながら火を見つめる。
炎が、あまりにも美しいので。
2.いまにも響き続けている爆音と
これは戦勝国が作った映画だ、と本作を評する声も耳にする。事実、そうだ。
オッペンハイマーは作中、万雷の喝采の中で「世界は今日を忘れないだろう」「ナチスにも落としてやりたかった」などと嘯き、偉大なる人物としてタイムス誌の表紙を飾り、大統領への謁見を許されたりする。第二次世界大戦終結後の彼の周りには、止むことのない拍手が鳴り響いている――しかしその足下にあるのは、作中で彼が幻視するように、炭になった屍と、毒の光である。彼自身、そのことを誰よりも知っている。
映画の中でオッペンハイマーの登場を待ち望む市民達が足を踏みならすとき、それは今もなお続く軍靴の音に、銃弾の雨の音に、虐殺への賞賛に、聞こえはしなかったか。響く音は、繰り返し、繰り返し、オッペンハイマー氏の人生にあらわれ続けている。
この映画の中で、原爆そのものの被害はほとんど描かれない。台詞で言及がある程度だ。
日本での現地調査報告のスライド写真にさえ、彼は目を背ける。怯える子どものように。
「二度とあの泣き虫学者をよこすな」と嘯く大統領――たしかにこれは戦勝国が作った映画である。しかし、では敗戦国の私達は? あの怯える小さな科学者を前に、かつて血と膿と熱に焼かれた敗戦国に住む(だがその記憶も自覚ももはや遠い)わたしたち日本人は、いったい何と声をかければいいのだろう?
彼はただ、最初は学問が楽しく、すばらしく頭が良くて、その頭脳で戦争を終わらせられると信じていた。原爆が怨嗟ではなく平和を生むと信じることにしていた。何という皮肉だろう、オッペンハイマー自身、そして『国家』達もそんな結果にはならないと知っていたのに!
作中終盤、アインシュタインはオッペンハイマーに向かって言う――
『さて、今度は君の番だ。君は君が成し遂げたことの責任をとるんだ。そしていつの日か、彼らが君を十分に罰したら、彼らは君を招待し、サーモンとポテトサラダを振る舞い、スピーチをして、君にメダルを与えるだろう。君の肩を叩き、君はもう完全に許されたと言うだろう。でも覚えておきたまえ、それは君のためではない。彼ら自身のためなのだ。』
第二次世界大戦から、もうすぐ80年経つ。戦争の記憶は遠くになりにけり――いやけしてそんなことはない。我々は数々の紛争を、内戦を、侵攻を、国が国を攻め滅ぼそうとする光景を、電子の板で見聞きしている。かつての世界よりずっと身近に――ずっと凄惨に。世界を動かすのはいつだって戦争であるということが、もはや秘密ではなくなってしまった時代に、私達は生きている。
『アルバート(アインシュタイン)、いつか計算を持ってあなたに会いに来ましたよね。私達は全世界を破壊する核の連鎖反応を始めるかもしれないと・・・・・・』
『覚えているよ。それがどうかしたか』
『その通りになりました』
最後のオッペンハイマーの絶望と懺悔を、わたしたちは忘れないだろう。
これは単なる反核の映画ではない。争いを引き起こし、そして推進する「もと」についての物語なのだ。オッペンハイマーの理想、ストローズの虚栄と嫉妬、キティの怒り、たくさんの人々の熱狂と正義の対立・・・それらすべてに絡め捕られた男の物語は、遠い教訓話ではない。今もミサイルの降り続ける、灰塵の降る世界に生きる私達の物語なのだ。万雷の喝采は、軍靴の音は、爆音の残響は、今もなお響き続けている。この映画は私達にそれを思い出させ、目をそらすことを許さない。湖畔に佇む科学者のように、「力」への警告の眼を失わないこと、考え続けることを求めさせるためのものなのだ――――。
9歳の私は言うだろう。
「でも、いやだよ。そんなの見たくない。楽しい明日を考えたい」
少年は言うだろう。
「おれたちもあの朝までそうだって信じてたよ」
『人間が想像できることは、人間が必ず実現できる』
――とある作家の言葉とされている。
もしそれが本当ならば、私達は今後どう生きていくのか。繰り返し、この作品に問われ、そして自らの中で問い直してゆく必要があるだろう。今、このときも。