月曜日の図書館9 ミッション
書類にはなぜはんこを押すのだろう。イベントを開催するとき。フロア案内図を変えるとき。古地図を博物館に出品するとき。決めることが大きくなればなるほど、いろんな人たちのはんこを集めなければいけない。本の廃棄を決めるときなんか、ぜんぶで20人分ものはんこが必要だ。コンプリートすると夏休みのラジオ体操を完遂したような達成感が味わえる(特にご褒美はない)。別の場所にいる偉い人のはんこをもらうために、わざわざ出張することだってある。
どうしてだろう。
たとえば市長印をサツマイモで作ったって、違いが分かる人などいないのに。
たとえばわたしのはんこは100円ショップで買った安物だが、職人が作ったこだわりの一品と同じ効力を発揮する不思議。
仕事の世界には興味深いルールがたくさんある。
信長の暗殺に失敗した忍者についての調査依頼がくる。忍者は忍んでいるから忍者なので、公に出版されている人物事典には載っていない。かろうじて数行、ものすごい能力の持ち主だったといくつかの忍者の本に書いてある程度だ。ものすごい能力を持ってしても、信長を暗殺することはできなかった。運が強かったのだ、と書いてある本もあった。
昼休み、ごはんを食べていたら、はっとりくんのことをふと思い出して泣いた。うれしくても悲しくても表情が変わらないはっとりくんが過ごした、厳しい修行の日々を思った。
やまない雨はないってどういう意味ですかと聞かれたN本さんが、気象事典を案内していた。
出勤簿にはんこを押す度に係長がほめてくれる。よく来たね、偉いね、上手に押せたね。こんなに甘やかされていたら、上司が変わった途端にショック死するんじゃないか。
児童担当だったとき、忍者サノスケじいさんシリーズをもっと借りてほしくて(日本全国を旅するのでぜんぶで50冊くらいあって、大いに棚を圧迫していた)忍者の展示をやったことがある。
勉強して初めて、乱太郎たちが着ているような忍び装束はいつも着られていたわけではなかったことを知った。考えてみたら当たり前だ。目立ってはいけないのだ。周りの環境に合わせて、農民とか商人の格好をして、溶けこむようにして任務を果たしていたのだった。
信長はたくさんの人を殺して、たくさんの人から殺したいって思われて、それでも天下統一したかったのはどうしてだろう。日本中どこでも、自由に旅行できるようにしたかったのだろうか。都路里の抹茶パフェが食べたかったのかもしれないな。
T野さんは調査で読んだ本に、月代をやり始めたのは信長(それまではむしっていた、諸説あり)だと書いてあって、非常に興味深い発見として友だち数人に話したが、誰も驚いてくれなかったそうだ。
カウンターでおじいさんから「国璽ができたのはいつか知りたい」と依頼される。件名「印章」で検索してヒットした本を何冊か手渡すと、度を超えた喜び方をする。帰るときまでに何べんも頭を下げてお礼を言ってくれて、申し訳ないほど。
わたしが抜群の信頼を寄せている「ものと人間の文化史」シリーズの『はんこ』によれば、江戸時代のころから、庶民もはんこを所持するようになり、自分の首と同じくらい大事にせよ、はんこの偽装は死罪に値する、というほど厳しく重い存在だったらしい。一方、お百姓さんたちのはんこはその土地の名主が一括で管理していたのが実態で、ルーズな人だと書状に間違って別の人のはんこを押したりしていたそうだ。
間違っていても、そこにはんこがあるというだけで、なんとなくいい感じに見える。だから人は、どんなに時代が変わってもはんこを押すことだけは止められないのだ。
暗殺を失敗した忍者、何も情報が見つからないまま回答の期日を迎える。参考になりそうな本をいくつか紹介し、あとは伊賀の図書館に聞いたらいいかも、と書き添えて、この文面でよいか決裁をとる。
決裁をとるときの印座にはあらかじめ( )してよろしいか、と彫られている。回答してよろしいか。掲示してよろしいか。依頼してよろしいか。初めてこのフレーズを見たときの違和感が今も消えない。ていねいにお伺いしたい気持ちと、少しでも文字数を減らしたい気持ちとがブレンドされた結果だ。一部の世界でしか聞きなれない変テコな日本語。
調査で思うような結果が出せないと、わたしは、できの悪い忍者なのではないかと思うことがある。図書館に忍びこんだはいいものの、任務は忘れてしまった。仕方がないから本物の司書になろうとがんばってはみるが、いっこうに上達しない。気づけば出勤するだけでほめられるほど、上司の期待値が下がっている。
この宙ぶらりんな状態を終わらせるにはどうしたらいいのだろう。任務を思い出して、早く手裏剣を投げたり、天井を歩いたりしたいのに。
もしくはドロン、と(3分くらい)消えてみたい。