月曜日の図書館50 大人の自由
手を拭こうとして、ハンカチがないことに気づく。仕方がないので髪の毛をいじくったり、図書館によく来るおじさんたちのように体の両サイドでぱたぱたさせて何となく乾いた気分になった。
子どものころからの習慣で、寝る前にはいつも、明日持って行くものの確認をする。ハンカチ、水筒、肥後守、今年からはマスクが加わった。いつもほとんど無意識に、一連の必需品チェックを行っているのに、ときどきどういうわけかノイズが生じてすっぽかしてしまうことがある。
小学校では忘れものをすると先生に怒られたり、チェックシートにシールをもらえなかったりしたが、今は、何かを忘れても自分が困るだけで、取り立ててそれ以上のことが起こるわけではない。悪いことをしても誰にも咎められない、そのあっけない自由に、首筋が少しすーすーする。
大人になるってそういうことだ。
人気漫画の最終巻が発売になり、新聞に全面広告が出た(しかも各紙で全部柄が違う!)。ネットオークションのサイトには早くも出品がある。
このページだけ切り取りに来る人がいるかもしれないので、先手を打って、蔵書印を大きく押すことにした。金髪の子の広々としたおでこに、力強く押す。
以前、キムタクの人気が全盛期だったころは、同じく広告が盗られないよう、キムタクの両ほっぺに蔵書印を押したそうだ。
額に刻印された彼は、本編とは別の物語まで背負わされた人みたいになってしまった。
おじさんが財布を床に投げ出している。財布は伸びるチェーンでズボンのポケットとつながった状態だ。びよんと伸びて通行の妨げになること甚だしい。最初に見たときは落としたことに気づいてないのでは、と思ったが、一時間おきに定点観察した結果、ずっとこのフォーメーションで調べ物をしていることがわかった。圧倒的に故意だ。何のために?特定の人だけにわかるサイン?自分の舌をひらひらさせて獲物が寄ってくるのを待ち構えているワニガメを想像する。
落としたと勘違いして親切な人が財布に手を触れた瞬間、何が起こるのだろう。考える楽しさを与えてくれるから、明日も来てほしいよおじさん。
外出自粛を呼びかけるポスターに登場させた、ゆるい日本画のおじいさんたちを、今度は図書館の利用案内動画にも流用することにした。一粒で二度おいしいね、とT野さんに言われ、ことわざかな?と思ってあいまいにニコニコしていると「グリコのCMだよ!」と肩を力強く叩かれた。
学生のときぶりにパワーポイントを起動させてみると、あのころより「勝手にいい感じにしてくれる」機能が格段にアップしている。調子に乗っておじいさんたちをあっちに出現させたり、こっちで宙返りさせたりしていたら、画面がおじいさんまみれになって肝心の案内が埋もれてしまった。
シールももらえないのに、何となくひととおりのことができてしまう不思議。
電車で前に立っている人が読んでいる本をのぞくと、章のタイトルが「特殊な脱税の方法について」だった。すかさずスマートホンにメモする。顔を上げたときには、「どうして脱税をするの?」のページを読んでいた。
もう大人なんだから、新聞のページを破いて持ち去ることもできるし、脱税だってできる。罰する制度こそあれ、本当にはもう、誰からも怒られない。「合格」のハンコを押されてすっきりできる日はこない。自分にゆだねられたあいまいな道を、どこまでも進んでいくだけだ。
ときには濡れた手をパタパタさせながら。
久しぶりに買った少年漫画雑誌に、件の人気漫画のシールがついていた。おでこの人の、キリリとした表情からかわいい表情までいろいろある。好きな子にとっては喉から手が出るほどほしいだろうなとは思ったけど、わたしは興味がないので読み終わった後で雑誌といっしょに古紙回収に出した。
ネットオークションには出さない。